2001年の冬から2002年にかけて、私は慣れない状況に
かなり混乱していた。
集団生活は個室だったが、壁がほぼ透明だったので
プライベートが全然なかった。
種族が違う生き物が、一緒に生活しているので戸惑いばかりだった。
一緒に生活している生き物達と最初は、全然仲良くなれなかった。
そもそも、わたしは大人になる道を失敗して死んだと思われていたらしく、
「死にかけ」と呼ばれ、かなり避けられていた。
集団生活で、とても寂しかったので、仕事ばかり一生懸命になっていた。
ほとんど、家に帰らずノートに懸命に絵を描いていた。
往来する生き物の様子を、ただ黙々と絵にしていた。
この頃、わたしは、記録は絵でなければならないと思っていた。
ところが、それは大きな勘違いだった。
2002年の終わり頃、はじめて記録をつける生き物達の
定期報告会に参加したときかなり驚いた。
定期報告会に参加したときかなり驚いた。
記録をつける生き物達は、種族がバラバラで記録の付け方も多種多様だった。
水の管理や、物を作る係、生き物を殺す係、体調を治す係、物を見る係など
決まった生き物しかできない仕事が多い中、
記録をつける係の生き物は人型の生き物だけの仕事だと思っていたのに
記録をつける仕事をしている人型は、わたしとオミ姉さんしかいなかった。
そして、その時わたしは、
わざわざ絵で描くより、文字の方が思いっきり楽じゃないか・・・
と、がっかりした。
そして、その時わたしは、
わざわざ絵で描くより、文字の方が思いっきり楽じゃないか・・・
と、がっかりした。