こんにちは 音譜

あなたの内なる才能を開く 魂の案内人
Angelic Moon 紗理佐です(*^_^*)

一昨年、伊勢に 一時期住んでいた時に聴いていた
雨音のヒーリング音楽を聴いていると、

気持ちは、あっという間に、
あのうっそうとした伊勢の自然の中の暮らしに戻ります。

あのしっとりとした伊勢の日々の記憶が、
心の中に広がります。

まるで、過去と現在を自由に行き来できるみたいに得意げ


下記は、『覚悟の磨き方』という
吉田松陰の言葉を超訳した 池田貴将さんの本から抜粋しました。

吉田松陰は、明治維新を起した多くの人たちを
感化した人物ですが、ご本人は、三十歳という若さで亡くなります。

現代で考えると、三十歳って、
びっくりするぐらい ものすごく短い人生ですね。。。

その短い時間の中でも、
懸命に生命を輝かせて生きた――

というのは、日本人の中にある侍スピリットを感じさせます。


私にとっても スピリチュアルな世界におりますので、
「生と死」は 切っても切れない大きなテーマです。

そして、私たちは、
「死」を意識することで、「生きる」をより色鮮やかに感じることができると思うのです。


シャスタの漆黒の闇の森の中で、
一人、キャンプするたびに、

実は、「死」を覚悟してました…得意げ

だからこそ。

次の日の朝日の光を浴びることができる朝が、
どれほど、ありがたかったか。

「生きる」を鮮明に感じる体験が、
生きている感覚をリアルに感じさせてくれる喜びなのです。

これは、何かに勇気を持って直面したからこそ、
受け取れる鮮明な「生きる」体験です。



現代社会の中、多くは、
「死」は、タブーとされてきましたが、

私たちとっては、
避けて通れない大切なテーマなのに、、、

どうして、現代人は、
「死」をなかったことのようにして 振舞っているのか?

が、私にとっては、時々不思議に感じます。

「死」の向こう側にある
本当の素晴らしい世界に対する誤解と恐れがそうさせるのでしょうか…。

誰にとっても、「死」は、
まだ経験したことがないことなのも 確かなのですから…。


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人生は四季を巡る

もうすぐこの世を去るというのに、
こんなに おだやかな気持ちでいられるのは、
春夏秋冬、四季の移り変わりのことを考えていたからです。

春に種をまいて、夏に苗を植え、
秋に刈り取り、冬がくれば貯蔵する。

春と夏に頑張った分、
秋がくると農民は、酒をつくって、

なんなら甘酒なんかもつくって、
収穫を祝い、どの村でも歓喜の声があふれます。

収穫期がやってきて、
きつい仕事がようやく終わった。

そんなときに、悲しむ人なんていないでしょう。

私は三○歳で人生を終えようとしています。
いまだ、なにひとつできたことはありません。

このまま死ぬのは惜しいです。

がんばって働いたけれど、
なにも花を咲かせず、実をつけなかった。

ですが、
私自身のことを考えれば、
やっぱり実りを迎える時期がきたと思うんです。

農業は、一年で一回りしますが、
人の寿命というものは、決まっていません。

その人にふさわしい春夏秋冬みたいなものが、
あるような気がするんです。

百歳で死ぬ人は百歳なりの四季が、
三十歳で死ぬ人は、三十歳なりの四季があるということ。

つまり、
三十歳を短すぎるというなら、

夏の蝉と比べて、ご神木は寿命が長すぎる
というのと似たようなものじゃないかと思います

私は、三十歳で、四季を終えました。
私の実りが熟れた実なのか、
モミガラなのかはわかりません。

ですが もし あなたたちの中に、
私のささやかな志を受け継いでやろう

という気概のある方がいたら、
これほどうれしいことはありません。

いつか皆で収穫を祝いましょう。

その光景を夢に見ながら、私はもういくことにします。


『覚悟の磨き方』 超訳 吉田松陰

(編訳 池田貴将)
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この文章の中では、
人の一生を「春夏秋冬」で例えています。

実りの収穫時期は、
確かに豊かな時期ですが。

その実りを収穫する時期というのは、
仕事量も多くて、忙しい。

まるで、今までの高度成長時代の頃のようではありませんか…。


「収穫期がやってきて、
きつい仕事がようやく終わった。」


本当は、そこで、
ホッと一息つく時間も必要なのですね。

そしてまた、新しいサイクルがやってくる。

なのに、現代は、どうしても。

いつも 収穫期を追い求めているような、
そんな虚しいラットレースをいつまでも追いかけているようなそんな切なさも感じます。


自分の一生を四季の移り変わりととらえて、
自分なりの、私だけの生きた証という『収穫』をどう受け取るか―

時々、思い返しながら、
いまを生きたいと思います。