先週の水曜日、義母が旅立ちました。

91歳、大往生。


真面目でチョット厳しい一面もあったけれど、穏やかでユニークな面もあって楽しい人柄だった義母。

いろいろ良くして頂いたし、たくさん迷惑もかけてしまったので、せめて最期くらいはちゃんとお見送りさせて頂きましょう と気持ちを引き締めていたのだけれど……


亡くなったのは 21日の水曜日。が、23日からの3連休の影響か法事ラッシュらしくお寺さんも大忙し。中2日空けての通夜葬儀というスケジュール。所謂 法事関連て 大抵午前 ってイメージだったけれど、今回葬儀の開始は午後からというのもあって、ゆとりをもって余裕で準備が出来ましたていうか、結局打ち合わせやら準備やらなにやらと、水曜日から日曜日の告別式まで、毎日セレモニーホールに通う日々にはいろんなことがありましてね。


まず、日程的に余裕があったので今回は東京住みの息子も帰ってこれたので久しぶりの家族4人揃った!(年末年始は帰ってこなかった)


家族4人揃ったのはいいけれど、この人数分のご飯準備するのにビックリした。いつもの倍だよ、当たり前だけど。ご飯4合炊くとか、いつぶり?!


お世話になったセレモニーホールは施設もスタッフの皆さまの接客術というか対応も、なにもかも素晴らしい!と、それはそれは感動していたのだけれど、とにかく中2日空くのでドライアイス代だけでもバカになりません‪‪‪w‪w‪w


「湯灌」という、「ご遺体を清める儀」というものに立ち合うことになったけれど、なかなかの緊張ていうか夫がビビってしまい、初めの「柄杓の水でご遺体の足元から清める」ところまでで退散した笑とか

(こういう機会、そうそう無いのにな)


そして、ちょっと寒かった三連休。義母の安置された「ご遺族様控え室」内も、若干寒い。

エアコン付けてもいいかーと娘がスイッチONしようとするけれど、え、待って義母ドライアイスだよ部屋温めたらヤバくない? みたいな話しとか。

セレモニーホールのスタッフの方との打合せで、遺影の額のお色は、とか、お召し物の種類は色は背景のお色はなんてあれこれやり取りをしていた末に出来上がった遺影。遺影というよりは「祝ご入学」「お誕生日おめでとう」みたいなノリのモノ出来上がっちゃったぜヽ(*´)ノイェ-  みたいな話とか。



モノクロ写真に黒縁額の御先祖遺影からの、コレ。「いまどきはいろんな色の額があって華やかでいいですな‪‪‪w‪」とご住職‪‪‪。



久しぶりに会った親戚たちも皆相応にお年を重ねられているのだが。叔父のひとりが喋るときに急に首を90度下げて俯きモゴモゴ話し出すもんだから、え、毛利小五郎?  コナンくんどこ?‪‪‪w‪w  な話とか。


故人の娘、つまり私の義妹とその夫が石川県からやって来て。到着するや否や、囲み取材みたいになってた‪‪‪w‪  そしてお通夜のあとの会食でも、もう当然のように? 故人を偲ぶ話より震災の話がメインになってた、とか。


あっ、ほかにもいろいろ小ネタはあれど、書ききれない🤣🤣🤣  ヤバいくらいなんかふざけたネタの多い葬儀だった!



けれど。



そうやってこっそりネタを見つけては笑いを噛み殺しつつ、おすまし顔して過ごそうとしてたけれども。

ちょっと油断すると、涙腺が緩んでしまって😅


初めに、セレモニーホールのお部屋に安置された義母の姿、その顔を見たときも。


綺麗に身支度整えられて棺に入った姿を見たときも。


お焼香のときも。


祭壇に飾られていたお花を棺の中に、義母のまわりに供えるときも。



そして、火入れのときも。



なんとも言えない気持ちになって、涙。




急に、義母に対していろんな気持ちが込み上げちゃって仕方なかった。

それは、具体的にどうこうな思いでもなく、ただ感情が込み上げてきたような。

ただ、義母の顔があまりにも美しかったから。

ホッとしているような

安堵しているような

解放されたんだな、っていうような…。


その顔の、あまりの美しさに、感動。



とにかく、とにかく。とても清らかで美しい顔をしていて、目の裏に焼き付いてしまった。



火葬のあいだの待ち時間にも、これまたネタは満載だったのだけど笑 

滞りなく一連の儀式を終了し、位牌と遺影、遺骨を携えセレモニーホールを出ると……



目の前に、大きな虹!



この橋を渡ったのかな〜〜〜。。。


車内から撮ったときには、もう薄くなってしまったけれど。でも、このタイミングでか!!! と、これまた感動(T ^ T)


もう、とにかく感動とふざけの嵐な日々。



決して「いい嫁」ではなかったしな、看取ることも出来なかったし、いろいろ思うこともあるけれど。

でもまあ、なんか「それがすべてオッケーなのよ」ってカンジ。





ただ、なぜだか自分の親の時よりも喪失感が大きい気がするのはなぜだろう。