心と魂にちょうどフィットする 全体的ないやしをあなたに

 

"あなたの本当の未来"への ナビゲーター 花井 音葉です。

 

 

お気に入り、こじんまりしたシャビーシック風カフェの風景

 

 

今日は11.11.で、

レムリアの新しい始まりの日などとも言われますね。

 

 

スタートの「1」が重なり、

「11」でゲートを作っているのもまた重なり・・・

 

 

まさしく、何か新たなことがスタートした、

その実感を持つ日かなと思います☆

 

 

 

みなさまはいかがお過ごしですか?^^

 

 

 

私は昨日・・・

 

何も考えていなかったのですが、

 

ベッドへ行く前、ふと思いついて

仕事机のそばのいろんな書類を仕分けして、

 

不要なものは処分したりして、

結局・・・ベッドへ行く時間が30分伸びたりでした。(・・。)ゞ

 

 

それはちょっと確かに、

 

元旦を迎える前に、大晦日までにいろんな不要なものを

整理する気持ちにも似ていました。

 

 

 

特にする予定はなかったので、夜寝る間際というのが

なんだかビミョーですが。笑

 

 

***

 

 

 

えっと、

 

私が占星術に出会えてよかったと思うのは、

 

 

ベル 人生の俯瞰のためのツールともなるというのが

ひとつあります。

 

 

人生をより大きな視点から理解できる

 

 

イコール

 

 

自分を、関わった他者を、世界を

より大きな視点から理解できるということ。

 

 

 

それは、ひとつひとつの体験なり、

 

人生のある時期に用意された、ステージなりテーマなりを

現実を通して生きながらそしゃくするとき、

 

 

それぞれにおいては、誰もがみな

自分のオリジナルな方法で懸命に取り組んで為して行くわけですが、

 

 

ひとつ、ひとつが珠だとして、

 

バラバラ状態。

 

 

それをね、ある時点で丁寧に眺めながら

つなげていくと、

 

 

首飾りやブレスレットとして、

 

より、全体像、個人の物語が

生き生きと感じられるようになるのです。

 

 

それはとっても大きな効果、ギフトだなと思います。

 

 

 

そして俯瞰する視点ということと同じではあるのですが、

 

ベル 自他を責める思いが解けてゆくこと。ピンクハート

 

これもあります。

 

 

 

非二元の

 

「起きることがシンプルに起きている」ということが

 

より深くじんわり~と、言葉で理解するのではなく、

落とし込まれたものとして、自分の内側に満ちてくるのです。

 

 

自分を責めたり、人を責めたりも

なかなか苦しいものですよね。汗

 

 

そしてその過程も、そのままでなんらか意義?の

あるものではあると思うのですが、

 

 

 

同じ輪を回っているだけのときと、

 

 

「それでなんだなぁ・・・」と、ハラから納得できたり、

 

大きなサイクルで生きている自分に思いが自然にゆくとき、お願い

 

 

自分視点の小さなストーリーは消えています。

 

 

 

たとえば・・・

 

 

自分が今でも「どうしてああなっちゃったかなぁ。。。」ショボーン

 

「あんなこと、どうしてしちゃったんだろう」

 

「あの人にあんなひどいことをしちゃった。」

 

 

 

あるいは、

 

「どうしてあの人はあのときに、あんなことをしたの?」ムキー

 

「なぜあのタイミングであれが起きなくてはならなかったの?」

 

 

・・・

 

 

生きていれば、そういうことのひとつや二つ、

みな、持っているものだと思います。

 

 

 

そしてその後悔したり、自分を責めることに

関わる相手がある場合も多いです。

 

 

 

占星術的観点からチャートなり見てみると、

 

自分のチャートでもそれが符号することがあるのと同時に、

 

相手のチャートでも、それを見ることがあります。キョロキョロ

 

 

 

ということは・・・

 

「自分」の発動した何かが他者を傷つけたという

その見方の奥に、

 

 

実は、お相手のその方の人生に、そういう「イベント」として

星のメッセージとしても組み込まれているということ。

 

 

それは立場を替えても同様です。

 

 

 

いろいろ考えても、

 

「なぜに??」と思う出来事。

 

 

それもシンプルになんらか「起こる必要があった」ということ。

 

 

 

起きる必要があったから、なんでもいいんだ、

苦しみも悲しみもないんだではないです。ショボーン

 

 

 

けれどね、

 

たった一人の自分の不確かなエゴを元にしたさまざまが

この世に不条理に展開してゆくというわけでもないのだという、

 

 

それを垣間見るとき・・・

 

 

ふっと、私たち全体が軽くなる

 

 

より大きなものに導かれ委ねられていることに

あたたかなものを感じる。

 

 

これがあると思うのです。ピンクハート

 

 

 

そういう、ある意味「マクロな視点」大きな視点と、

 

自分主体の小さな視点「ミクロな視点」を

より自由に行き来させてくれるツール、あるいはシステムとして

 

占星術を考えるとき、

 

 

やはり、そこには愛があるなぁって思うのです☆ウインク

 

 

 

ほら、思いませんか?

 

 

天使や聖なる存在のメッセージやエネルギーからも

 

自分が普段いる場より、高次の観点からの導きをもらえ、

 

深い愛を感じ、つながれる。ピンクハート

 

 

 

けれど時に、マインドでもそれが理解できたなら・・・と

思うようなこと。

 

 

 

天使や聖なる存在たちとつながるところと、

 

マインド主導のところとは、違うわけなのですが、

 

 

それぞれが得意な分野があって^^、

 

 

それが組み合わさると、さらに深い気づきとして

いろいろなレベルがつながり、より安心感が増す。

 

 

 

占星術がマインドの土台にあるとは思いませんし、言いませんが、

 

あるところでは、情報なり、事象なりを分析的目でも

見てゆくわけです。

 

 

私はその「目」と、天使や聖なる存在や神、大いなるものと

つながれる「何か」を、

 

自由に行ったり来たりできるのが、一番いいなぁと思っています。ニコニコ

 

 

それぞれ、受け取られるところが違うからです。

 

そして相乗効果で活きてくるのを、

私自身としても感じているからです。

 

 

 

いずれにしても、

 

何かがわかるということよりも、

 

 

「何を体験するのか?」こそが、

 

神と接するポイントなのだなと思います。

 

 

 

頭でいろいろ考えたり、

 

ぼんやり~と受け取られる啓示なり・・・

 

 

それはいつも、私たちの実際の体験が

その入り口となって開いてくるものです。

 

 

良い、悪い、

高い、低い。

 

 

関係ないです。

 

 

 

どんな体験の中にも究極あるのは、

 

生命としてのきらめきにいたる何か

 

 

試金石としてくるもの。

 

恩寵としてくるもの。

 

 

さまざまな形や関する人を伴いながらも、

 

実はそこにあるのは、

 

 

宇宙にシーンと存在する大きな自分の息吹だけ。

 

 

 

それを体験を重ねながら、

ある時は、もだえたり苦しんだり悲しんだり、

あるいは喜んだりで、

 

進んでゆく時に、

 

 

私たちの前に、奥深い世界への扉は

実はいつも開いているのだということ。

 

 

高尚なことだとかそうでないとかは、

 

まったく関係なく、

 

等しく、どんなものもほんとうに尊いのだということ。

 

 

 

あぁ、またわかりにくい話を書いてしまいました。(;^_^A

 

 

でも、今の旬の「衝動」にただ従いたくて。。。

 

 

最近、こんな記事が多いですね。

 

 

 

読んでくださった方、ありがとうございます♡

 

 

素敵な11.11.のスタートの日を♪ラブラブ

 

(私はダウントン・アビーを観ながらちょっとまったりの日です。)

 

 

 

 

 

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