Doing と Being
最近感じていたのが、Beingのアートというのか、
私の意識はそんなことにフォーカスしているようだなということでした。
いろいろ頭と体とかフルに回転させて、「なにかを為す」のが、Doingとすると
私たちの世界にはたくさんそれが満ちていますよね。
生活するためだったり、仕事のためだったり、いろいろです。
そしてBeingはというと、
そういう、肉体側の都合によるものではなくて、
「存在のままあること」。
深いところとつながり、リラックスして
「在る」ことと存分につながりながら、
「自然に為すことも為している」
意識がどこに在るのかが、まず違うでしょうか。
ライタリアンのファウンダーたちも、
DoingとBeingのバランスというようなことを、
よくおっしゃっていましたし、
現在、リタイアされてからも
時々メール交換させていただく折に、
「Beingを楽しんでいます」と書いてあり、
いつも素敵だなぁ♪と、自分たち軸でぶれない在り方に
尊敬の念を覚えます。
そしてそんなことを考えていたら、
コレット・バロンさんのカードで、次のような文が目につきました。
「We do without doiong and everything gets done」
まさに、「為さずして為す」ではありませんか!^^
この深いBeing、その在り方を自分にものにしたいなぁ。。。と
思っております♪
花井 音葉
最近感じていたのが、Beingのアートというのか、
私の意識はそんなことにフォーカスしているようだなということでした。
いろいろ頭と体とかフルに回転させて、「なにかを為す」のが、Doingとすると
私たちの世界にはたくさんそれが満ちていますよね。
生活するためだったり、仕事のためだったり、いろいろです。
そしてBeingはというと、
そういう、肉体側の都合によるものではなくて、
「存在のままあること」。
深いところとつながり、リラックスして
「在る」ことと存分につながりながら、
「自然に為すことも為している」
意識がどこに在るのかが、まず違うでしょうか。
ライタリアンのファウンダーたちも、
DoingとBeingのバランスというようなことを、
よくおっしゃっていましたし、
現在、リタイアされてからも
時々メール交換させていただく折に、
「Beingを楽しんでいます」と書いてあり、
いつも素敵だなぁ♪と、自分たち軸でぶれない在り方に
尊敬の念を覚えます。
そしてそんなことを考えていたら、
コレット・バロンさんのカードで、次のような文が目につきました。
「We do without doiong and everything gets done」
まさに、「為さずして為す」ではありませんか!^^
この深いBeing、その在り方を自分にものにしたいなぁ。。。と
思っております♪
花井 音葉