今日の日曜日は穏やかなお天気の中、
夫と家でまったり、でもちょこっとお仕事の準備などもしながら
すごしています。ラブラブ


昨日の土曜日もとってもいいお天気で、
久々に、デュッセルドルフへ行ってきました。


片道1時間ほどなので、いつも行ける感覚がありながら、
自分で運転するのはOKだけれど、けれど気も張るので、
案外時々しか行きません。


前に住んでいたデュッセルでも、ボンにまた慣れてから行くと
新鮮に感じ、面白く感じるから人間って。。。

目新しく感じるもの、こと、場所が好きなのね~。。。^^
なんて自分のことですが思います。(笑)にひひ


そして思ったのが、
目新しいものをうれしがる気持ちと同時に、


恩恵がそこにあっても、それが普通のこととなると
やはり人間って、それを忘れがちで、欠けたところに目がいったり
ないものねだり的な気持ちも多少わくのね。。。ということです。


たとえばということで、このデュッセルとか今住むボンを考えてみると、


デュッセルにいる時には、すぐ近くに日本系の食料のそろうスーパーが
あることなど普通でしたし、

その気になれば、ラーメンも、お寿司も、おそばもすぐに食べることが
できましたし、


本屋さん、ビデオ屋さん、日本語での習いごとなど
文化・娯楽の面でもそれなりに充実していました。

また、ファッション面でもよりチョイスの幅が広がります。


今住むボンは、ササっと週末とか週日時間のあるときに
上のような要素は、そこ、デュッセルなどへ時々行って満たせるのですが、
基本、『おらが村』的な、居心地のよい小さな町という雰囲気です。(笑)


その代わり、週末など足をのばせる郊外の見所がそろっていますし、
大好きなラインナウエもあります。ラブラブ


ということで、その場その場で恩恵があるのですが、
当時デュッセルの時には、住み慣れるとありがたみがなくなっていたのも
事実です。


そんなことを考えながら、
これはたとえとして場所の話になっていますが、


自分の長所、短所など、それらにも当てはまるかなと思って考えていました。


いいところがあっても、自分にとっては当たり前で普通と感じるし、
欠けているように思える短所に目が行っては、隣の芝生的に思ったり。。。


なかなかニュートラルな目で見るというのは難しいというか、
常にあるフィルターがかかってみていること、多いですね。



そのフィルターをはがしてゆくこともクリアリングですけれど、


シンプルに、自分にやさしく、慣れてしまって見えない
いいところを自分でほめてあげたり


欠けて見え、フォーカスして大きく見えるところを、
全体的に考えて、本来の大きさに戻してあげたり、


心の領域でも、風通しよくして、
偏った見方に気づかせてくれるツール、時間を常に
意識していたいものだと思いました☆


花井 音葉