ここで「幸せ」って書きましたけれど、

その定義っていろいろあるとは思うんです。

けれど、そうですね、その人がその人のままでいられる、
そしてその姿で全体と調和している、いい循環を受け取っている

これなども幸せの一つの定義かなって思います。

そして昨日ふと感じたのですが、たとえばわたし達が走るべき道が
あるとして(車にたとえていますので走ると書いています。)

お互いがその道を素直に走っている分には、全体の調和が取れて
スムースに流れるし、事故なども起きないのだろうと思います。

けれどわたし達はつい、その素直な道からずれてしまうものを
引きずっていたり、他の人でずれている人に影響されたり
(運転していても、危ない運転を隣りの、前の車がしていたら、
やはりハンドル切り替えてヒヤッとしますよね。)

そうやって、一人一人のずれが、全体をますます混乱させたり
衝突をおこしたり、事故になったり、傷ついたりということ

それが起こるのだろうと思います。

ですからわたし達がある意味、本来の道へともどってゆくこと
それは即全体へ寄与することなんだな。。。と

なんだかぼんやりと、でもその車の流れのイメージと共に
出て来たんです。

最近やはりリコネクティブ・ヒーリングを受けたばかりですので、
それをどこかでぼんやり考えているのだろうと思うのですが
(理解を無意識でも深めているプロセス)

リコネクティブ・ヒーリングなりリコネクションで
一人の個人といえども、素直な流れになったならば、
それってすごいことなんじゃないかなと思いました。

確かに今まである意味いびつに(苦笑)走っていたとして
急に素直な道に戻ったら、案外周囲は戸惑うかもしれません。

だって周囲だってその癖のある走りに付きあうコツみたいなものを
経験で体得して、それなりにお互いがいびつである意味
なんとかハーモニー的(本当のものではないけれど)なものが
形成されていたのかもしれませんしね。

それで最初はかえって衝突したりするかもしれませんが、
それでも素直な道にだれかがまず帰ったならば、周囲の人にも
影響する訳で、そうやって絡まった糸(道)をほぐすような作業を
しつつ、本当の調和へと向かってゆくのかな。。。なんて
思っていたのでした。

ごめんなさい、わたしの表現力がつたないせいで、
言わんとすることがよく伝わらなかったら、残念ですが。。。

感じでなんとなくお伝えできればそれでうれしいんですが☆