Angeli・ka fuです。

はじめましての方はこちらをどうぞ。→こちら

ご訪問ありがとうございます。
 

8月ですね。

20日がかなこの命日です。

昨年もでしたが、今年もその日には次女の部活の地区大会があるそうです。
年が浅い頃は、ただただ命日がすべて、でした。
そんな時期を超えて、
今は、現実の日常の中で、いろんなことが同時に在る、ということを体感しています。

 

義父が、さっき
「昨日が、酔芙蓉の咲き始めだったみたいやね。朝赤くなってるのが5つあったよ。」
っと話していました。

酔芙蓉といえば3年半前に亡くなった義母に繋がる思い出が多くて。
昨日は、主人(義母にとっての息子)の誕生日でしたので、もしかしたら義母からの誕生日プレゼントかしら?と想像しました。
5つ、にも何か意味があるのかな。
もちろん、かなこも一緒に、ね。^^

少し前にも、義父が
「夕方庭の水やりすると、黒揚羽蝶が舞い降りてくる。地面が涼しくなるけん、やろうなあ。。」
っと話すのを聞いて。
お義父さん、それはきっと、、、お義母さん、、では?
っと想像したり。わたしの中で、かなこは紋黄蝶、義母さんは黒揚羽のイメージです。

そんな風に義父と会話しながら、こころの中でも勝手に会話しています。
いや、もしかしたら義父も言葉に出さないだけで、少し思うところもあるのかもしれませんね。

夏の我が家のひとつの慣習・景色として、
義母が、孫たちと酔芙蓉の咲いた数を数え(そのうち数え切れなくなりますが)
小さいかなこや次女が、青虫から蛹、蝶へと変容する姿を愛で、
庭に放つ瞬間の蝶の軌跡を追う。

同じ時を、同じ景色の中で過ごした体験や感情は、
自分の中にいつまでも在り、
その記憶は同じ景色や気温や音や気配や状況によって呼び起こされます。
その残像、記憶が自分の中に在る限り、
亡くなった人は私の中で生き続けるんだな、とぼんやり考えています。

繰り返される夏のひとこまの中に、
確かに視えないはずの笑顔があり、笑い声が話し声が聞こえる気がする、
そんな夏の昼下がり、です。




今日はいくつ咲いてるんだろう?すでに数えられないわたし。(^-^;