今日はかなこの誕生日です。20歳。おめでとう。

昨日はうるう年で2月29日。20年前も当然ながらうるう年でした。


29日朝からぱんぱんに固くなったお腹を抱えて、

不安になりながら出産経験ある友人とやり取りしたり。

今日のお誕生日だけは避けてねーーっとお願い続け、

29日の0時を回った瞬間、もう!いつ!産まれてきてもいいよーー

っと声をかけたことを、いつもいつも思い出します。

29日から1日へと超える瞬間には、4年に一度、また特別な感情を連れてきます。



産まれたあとに、看護師さんから、

この赤ちゃんは、もう少し早く産まれたかったのかな?っと何気なく聞いた言葉を

かなこが亡くなってからふっと思い出してしまった。


もし、わたしがお願いしなければ・・・29日に産まれていれば・・・

かなこの人生は違ったものだったろうか、と大きな後悔をもつ瞬間があります。


たら、れば、、の話は、ぐるぐる迷路へたどりつくばかりと知っていますが、

それを自分に許すことも必要。人間だもの。

そして、そこから別の選択ができることも知り、自分に試す。それができるのも、人間。







今日、20年前に相談した友人からお花が届いた。

12年前、彼女の言葉が受け入れられず、ずっとずっと関係を切ってた。

届いた連絡に返信したのが1年前。

今も死別経験者ではない彼女の言葉に反応する自分もいるけれど、

こうして誕生日を覚えていてくれて、祝ってくれることに感謝する。




かなこ20歳おめでとう。

成人したかなこの姿を見たかったな。ほんと、見たかった。

おとうさんもおかあさんも、あなたの成長が楽しみで楽しみで仕方なかった。

20歳になったあなたと過ごす時を楽しみにしてた。


どんな娘へ育つのか。何に興味をもって、何を学びたい人になるのか。仕事は?

可能性も選択肢も無限大だった。


なぜ、あなたが逝かなければならなかったのか?

神を恨み、責め、罵倒し、

そして、自分を責めた。


わたしに未来はない。やりたいことなど何もない。と決めたあの瞬間が、

あなたを縛るものだとは、思いもしなかった。

長い長い時間を使ってしまったけれど、

20歳という節目に、あなたを解放し、また私自身も未来を歩む選択を持てたこと、

よかった。

そして、それだけ深く愛してたんだ。

お母さん、お母さんの未来を創造し歩いてゆくね。

あなたとあなたの人生に敬意を持って。