ダスカロスによる新訳版『キリストのたとえ話』より。

聖句 
「二人の息子」
       マタイによる福音書21章28〜32節
☆☆☆

「ところで、あなたたちはどう思うか。
ある人に息子が二人いたが、彼は兄のところへ行き、
『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』と言った。
兄は『いやです』と答えたが、後で考え直して出かけた。
弟のところへも行って、同じことを言うと、
弟は『お父さん、承知しました。』と答えたが、出かけなかった。
この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか。」

彼らが「兄の方です」と言うと、イエスは言った。
「はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、
あなたたちより先に神の国に入るだろう。
なぜなら、ヨハネが来て義の道を示したのに、
あなたたちは彼を信ぜず、徴税人や娼婦たちは信じたからだ。
あなたたちはそれを見ても、後で考え直して彼を信じようとはしなかった。」

☆☆☆


このたとえは、ファリサイ派の人々に対する𠮟咤激励の鞭です。とかく人々は、
最初「神のご意志」に従って行動することに気が進まないものなのです。
しかし、ある日はたと我に返って、「そうか、あれは神のご意志なのだ!」
と気づいて、ご意志に沿った行動を取れるようになるものです。
そのような人々は、"善き人々"になります。
イエスが私たちに述べていることは、

たとえ娼婦や他の多くの罪深き人々であっても、
最後には気づいて「神のご意志」を行うようになる、ということなのです。

しかしながら、自らを善なる人間であると呼んでいるような人々、
すなわち聖職者たちやその時代のファリサイ派の人々は、
神のご意志に従うことがなかったのです。
それらは彼らが行うべきことだったのですが、
行っているような振りだけで、実際は行わなかったのです。
このようであれば、神はどちらを愛するでしょうか。
それはもちろん、娼婦や徴税人たちの方です。
このようなことから、このたとえは現在ですら、
多くの人々にとって大変に厳しい鞭の一撃になっていると言えるのです。


・ファリサイ派
キリスト時代、サドカイ派とともに
ユダヤ教の二大宗派の一つでパリサイ派とも呼ばれる。
ローマ帝国下のユダヤにおける最高法院(サンヘドリン)の

主要構成議員でもあった。

このたとえ話は、訳により入れ替わっている場合がありますが教えは同じです。
神様のご意志に気づかなかったり、

受け入れるのは大変な時もあるでしょうけれど…
気づくことが出来た時がターニングポイントとなり、
信仰が生まれ、心が神様の方へ向かうようになるのです☆

神様の愛によって頂いた永遠のいのち・魂と同じ方向を向いて歩めるように
私たちの内にある天の国への扉はいつでも開かれているのです 
星

平和が皆さまと共にありますように☆ (*^-^*)