『いのち』を考える連続講座第5回目の金曜日は

 東日本大震災の悲しみに届く光
 ~行方不明の夫に宛てたラブレター~
と題して

龍谷大学文学部教授の鍋島直樹氏がご講演なさいました。

『死別悲嘆に寄り添うためには』

 ・悲しみは愛情の証であり、自然な感情である
 ・悲しみは亡くなった人との関わりに応じて、一人一人異なる
 ・死別による悲しみには様々な感情を伴う


そのことを認識している必要があり、定義されている様な
直線的なモデルには沿っていないケースが殆どだそうです。

鍋島先生は神戸生まれの神戸育ちで
阪神大震災以降ボランティア活動を続けていらっしゃいます。
ご自身が浄土真宗の僧侶である視点から、
親鸞聖人が説かれた死別の悲しみへの寄り添いをお伝えされました。

・悲しい時には涙を抑えなくてもかまわない、
 泣きたい時には涙すればいい

・悲しむ心を少し休ませてください
  家族や心を許せる人たちと飲み物を酌み交わすと、
  ほっとして、自然に笑顔が生まれてくる

・死を超えた依りどころが心の中に生まれると、
 悲しみを乗りこえてゆけるようになる
  亡き人は今も心に生きているという、
  確かな心のつながりを再確認して、
  生きる力を取り戻すことである

この「死を超えてつづくものとは何か」について
南三陸町職員であった遠藤未希さんとそのご両親、
行方不明の夫に宛ててラブレターを書かれた
菅原文子さんについてご紹介をしてくださいました。

遠藤未希さんは防災対策庁舎の2階放送室で、
大津波の予想による高台への避難を呼びかけ続けられましたが
実際は16Mもの津波であった為に亡くなられました。
生前、南三陸町の文化振興と地域の人々との交流を願って、
日本舞踊をお仲間と共に各地で披露されていた未希さんらの
追悼法要をボランティアでのご縁により依頼され執り行われました。

子供の頃から宮沢賢治の作品が好きだった鍋島先生は、
宮沢和樹さん(賢治の弟、清六氏の孫)とともに、
未希さんのご自宅にご訪問され、「雨ニモマケズ」の直筆額を
その真意をご説明されてご家族に寄贈されました。 

詩が書かれたのは、11月3日であり、逆に読むと3月11日
この詩は東北の為の詩であると、東北の方は感じておられるそうです。
国の為を思い、地域に尽くすという精神であった賢治は
詩の中で「行ッテ」という言葉を一番大切にされたとのことです。
『体が寄り添う時に心も寄り添う』
何も出来ないけれど、そこに赴くことで心が重なる
限界はあっても、相手と自分の心が寄り添うことが大事である。
未希さんご自身が「雨ニモマケズ」を叔父さんたちから習い、
覚えておられたのでご両親は喜んでくださったそうです。

「イツモシズカニワラッテヰル」という詩の一説が大好きで、
そういう姿勢でピースサインを出して、いつも笑顔で
お仕事を頑張っておられた未希さん。
その気持ちが思いがけず一致して嬉しかったと先生は仰いました。
ご遺体がDNA鑑定で確認され…ご自宅に連れて帰られる時、
横一直線の虹が空にかかり、そのお写真は娘さんの死に
特別な意味を感じさせると、ご両親は涙ながらに語られたそうです。
後日、2012年3月3日にご自宅を訪問された時には
多くの方々が未希さんの死を哀悼してくださったことへの感謝と
未希さんの行為を美談にはしてほしくないという気持ち、
自分たち生き残っている者の役割を精一杯生きていきたいという
ご両親の思いが、お聞きしている先生ご自身にも
これから生きる道として指し示してくれている様に感じられました。

続いて、菅原文子さんのお話をご紹介してくださいました。
大震災が起き、迎えに行かれた菅原さんと手を取り合った瞬間
夫の豊和さんは目の前で津波にのまれ行方不明になられました。
その夏に京都市の和用紙販売会社が企画した手紙コンクールで、
「行方不明の夫に宛てたラブレター」は恋文大賞を受賞されました。

豊和さんへの感謝と、自分たちのこれから、
そして 「只々ひたすら あなたのお帰りをまっています」

愛する人が行方不明となった家族はすべて、
その人の帰りを待っている。
どれほど時が経過しようとも、
その愛する人の帰りを待っているのである。
愛する人が帰ってきてほしいという家族の気持ちに応える教えが、
還相回向の救いとして伝えらているそうです。

「おくれさきだつ」という死別は、悲しいけれども、
先立って浄土に往生したものは、
必ず私たちを導いてくれるという、確かな道しるべ、導き手になる


先生は行方不明のご家族やご遺族に幾つかの詩を贈られました。
そのうちの一つ、金子みすゞ 「星とたんぽぽ」の一部です。

散ってすがれたたんぽぽの、

瓦のすきに、だァまって、

春のくるまでかくれてる、
つよいその根は眼にみえぬ。

 見えぬけれどもあるんだよ、
 見えぬものでもあるんだよ。

この詩は亡くされた父親を思って作られた詩だそうです。

私事になりますけれど、主人の姉も子供の頃亡くなりましたので
両親はそういう気持ちで生きていたのかもしれません。
姉が生きていれば自分は生まれなかったと思う…という、
彼とお姉さんとのご縁は何かの巡り合わせを感じます。

菅原文子さんがラブレターを書かれて一年三か月後
彼女から鍋島先生に一通のお手紙が届きました。

そこにはご主人が戻って来られたことが書かれていました。
菅原さんたちが朝に晩に通っていた道のすぐ脇の建物内で
畳の下になり守られていたようで、奇跡に近いと言われたように
五体満足で服を着て判別できる状態であったそうです。

「きっと様々な困難の道とは思いますが、
 何もおそれることはありません。
 せっかく生かされ主人が守ってくれたいのちです」

人は亡くなると、その姿形は見えなくなり、
何もなくなってしまう。
それは確かにそうかもしれない。
しかし、その人から受けた愛情、その人にささげた愛情を
忘れないでいることができるのは、
今ここに生きている自分自身だけだろう。
あなたの流した涙を、未来の幸せの種に撒くことができれば、
いつかきっと新しい幸せの花を咲かせることができるだろう。

・鍋島先生が営業部長をお任せされている(笑)
 「負げねえぞ気仙沼」気仙沼・男山のお酒は
 すがとよ酒店で販売されています。

・大震災時に避難所となった、ニュー泊崎荘の「絆ロール」
  冷蔵庫に残っていたロールケーキ1000個や食べ物を
  すべて被災者に支援物資として配られ、
  そのご縁で絆ロールが生まれたそうです。

大切な人がこの世からいなくなることは淋しく辛いものですが
その愛はずっと残された者のなかに生き続けてゆきますハート
お二方のお話のなかに感謝と希望の光を感じさせて頂きましたぴかぴか(新しい)(*^_^*)