死ぬことは
悪いことで悲しいことで辛くてだめなこと。
という風潮が
老衰にまで及んでいて
大往生
という言葉のハードルが
年齢にのみ適応され
だから
1秒でも長く
生体反応を伸ばす。
老衰なのに。
私は以前、病気になった桜の木とチャネリングしたことがあるのだけど
もう、土に還るために、ボロボロにしてくれる微生物がついたんだよって。
その桜は、幼稚園の園庭にあって
園長先生がとても大切にしていたみたいで
園長先生に、何にも心配しないでくださいって。
私は、幼稚園の桜の木が切られるらしいということしか聞いてなかったので
ここまで話したら
姉が号泣。
桜の圧倒的な愛のエネルギーに触れて
私も号泣。
このときは、自宅で電話で話していたのだが
桜の木が目の前にあるような
おっきくてあったかくて優しいエネルギー。
このことがきっかけで、さらに植物や動物達ともチャネリングできるようになったんだった。
生を受けたその時から
死
という、ひとつの終わりに向っていく。
生は性を生きることでもあり
死は終わりと始まり。
私は小児科が長かったので、現在の病院、いわゆる内科、老人施設で、本当に驚きの連続で。
延命はしないけど点滴だけはしてほしい。
その気持ち、よくわかる。
点滴は、楽になるからね。
でもね、老衰ってことは、血管も細胞も老いているの。
点滴した水は、細胞内にとどまらず
一番重力のかかるところにとどまる。
寝てるので、身体の下側、みーんな点滴の水がたまります。
それでも、死ぬまで、病院だと医療行為は止められない。
ということは
血管がもたないので、毎日刺すの。
で
血管はもたないから、針刺した瞬間、破裂したり(内出血)、何回も何回も刺すの。
指の血管、足の指の血管…。
意識がほとんどない人も
いてっ!
って言うのよ。
これは、私が5年前にいた病院の話だけどね。
看取りをやってない施設は、死ぬ場所を探して
ギリギリに救急車を呼んで
施設に戻らないようにしたいの。
施設や救急車で亡くなった場合
警察がはいります。
もうさ、なんだかイロイロショックで
看護師さんも次々鬱になるし、もはや来ないし
医療…老人医療が
おかしい。
と思い、訪問看護もやりました。
在宅には、私の求める答えが何かあるのでは、と。
続く