火葬場へ到着。

 

 

 

 

 

 

火葬場って独特の雰囲気あるね。

ヒヤっとするというか。

ひゅ~とちょっと不気味な風が

常に吹いているというか。

 

全然違うけど、

祖母の葬儀時も似たような思いを

抱いた記憶が蘇った。

 

 

 

 

 

 

義母には二人姉がおり、

その中でもしっかりしてそうな

雰囲気の方を火葬中に捕まえて

病気になってから

時系列ごとにお話をしようと

考えていた。

 

 

 

 

 

 

旦那が家の整理をしている中で

義母が闘病日記を書いており、

それを見てもらいたかった。

 

 

 

 

 

 

その日食べた物と量、

抗がん剤治療の詳細、

見舞いに来た人、

どこが痛いとかどう痛むか

体感的な病状など

事細かく記載されていた。

 

義母の気持ち的なものは

あまり記載は無かったけど

起こった事実が忠実に記載してあった。

 

 

 

 

 

 

 

お話をさせて頂いたお姉さんは

10歳前後、年の差があるようで

あまり一緒に遊んだ記憶は無いそう。

 

昔だから、中学を卒業した年齢ごろから

働きに出る必要があり、

非常に忙しい日々で義母と絡んでいる余裕が

無かったという話をしていた。

 

 

 

 

 

 

義母の日記を見ながら

こんなに細かく書いて凄いねと

ずーと褒めながら読み進んでいた。

 

 

 

 

 

 

最後の2週間、自宅に戻る時も

連絡があったそうで、

帰れるなら帰りなという

そんな気持ちだったそう。

 

 

 

 

 

時期は不明だけど、

結構、昔に旦那さんをがんで

亡くしていると聞いていた。

 

 

 

 

 

私の祖母もがんだったけど

緩和病棟でお世話になれたおかげで

痛みは最大限に軽減された状態で

楽に過ごせたと自分でも記憶しているし、

実母も話していた。

 

 

 

 

祖母は15年ほど前に

亡くなっているのですか、

当時、緩和病棟自体が

出来てからそこまで年月が経っていない

病棟だったような話を

実母もしていたから

もしかしたらお姉さんの旦那さんが

闘病している時期に緩和病棟自体が無くて

最後の方は相当苦しんだ可能性もある。

 

 

 

 

 

 

 

旦那さんの病状とか状態とかは

不明なのですが、

やっぱり痛みはゼロでは無いと仮定して

自分が義母にやってきた事を

事細かく羅列して、

最後の時間で少しでも

気持ちが和らぐ瞬間が

あった事をお伝えしたかった。

 

 

 

 

 

足が浮腫んでいたので、

マッサージしてあげたり、

せっかく自宅に戻れたので

自由に過ごしてもらいたかったので

食べたい物をどうにか聞き出して

買ってきたりしました。

ヨーグルトだったり、アイスだったり。

 

義母は買ってきてもらう事自体も

遠慮して言わないので。

 

 

 

 

 

桜が見たいと言っていたのですが、

わざわざ行ける体調では無かったので

一度、通院した時が

ちょうど満開の時期で

車の中から見てもらえました。

 

桜でも見れたかなと

もしかしたら気にしているかも

しれなかったので。

 

 

 

 

 

義母の兄弟たちは

亡くなる前日に

お見舞いに行っており、

 

お見舞いに行った時に

一般病棟だったと思うんですけど、

緩和病棟という

痛みを緩和させる事に特化した

病棟がありまして、

先生に入れさせて貰えないかと

交渉しに行こうと思っていて

交渉をしにいくその日に亡くなってしまったので

それは叶わなかったのですが・・・。

 

私の話で恐縮ですが、

祖母ががんだったのですが、

痛みを取る事が私的には

一番だと思っていて。

とにかく痛くないように

過ごしてもらいたかった。

 

 

緩和病棟の説明をしても

あんまり反応が無かったので

もしかしたら旦那さんは

経験してない可能性があるね。

 

それならその方が都合がいいんだけど。

 

 

 

 

日記自体も相当なページが有り

それを読み進めながらだったけど

時間が足りなくて、

最後、畳み掛けるように、

自宅に居たときの話をした。