人には防御反応というものが備わっていて、危険を感じるとそれが発動する。




例えば
熱いものを触った時には、瞬時に手を引っ込める。

例えば
身の危険を感じた時には、人はとっさに頭を庇う。




それと同じで、人の心にも防御反応は存在する。




もし執着の苦しみが人に危険を及ぼすものならば、防御反応が働くはず。

瞬時に執着から心を守るはず。




だけど、執着というのは手放そうとすればする程、かえって手放せなくなる。

むしろ余計に執着してしまって、手放したいのに手放せなくて、苦しくなる。

ちょうど、今の私のように。




執着を手放せないという事には、実は大切な意味がある。




例えば
怪我をしたら痛いと感じる。

それはなぜかと言ったら
痛いと感じることで、そこに手当てが必要だと気付くため。




目に見える傷だけじゃない。

身体の病気。
目に見えなくても痛みを感じる。

それはそこをケアして下さいっていう、身体のサイン。




もし人が痛みを感じなければ
怪我してできた傷に気付くこともないかもしれない。

そうしたら、いつの間にか悪化して致命傷になりかねない。




目に見えない身体の病気も
痛みを感じなければ、いつの間にか身体中に蔓延して
気付く間もなく、治療する間もなく、命を落としてしまうかもしれない。




痛みというのは、生きるため、生き延びるために存在している。




執着してしまう事で苦しむ。

この痛みにも
心が死んでしまう前にケアして下さいっていうサインが隠されている。

心が死んでしまわないように、危険から守ってくれている。




自分の中の何かが、ケアして欲しいとSOSを発しているのだ。




その何かに気付き、十分にケアしてあげられた時
きっと人は執着を手放せるのだと思う。

執着から解放されるのだと思う。












私は
こんなに、こんなに苦しんでまで

何をケアしてほしいと言っているんだろう。



ここからが本当に難しい。




手放したいのに(深層心理で)手放したくないと思っているのは
その本当の姿は、一体なんなんだろう。




今までのカウセリングを振り返ってみても、考えてみても
通り一遍なことしか出てこない。




きっと、もっと、あぁこれかって思えるような事があると思うんだけどな…




もう、いい加減
手放したい。

解放されたい。




私自身から、解放されたい。