劣等感・嫉妬
僕の場合には人生がうまくいかなくなってニートになりました。
人生がうまくいっている人が羨ましくて仕方ありません。
「人生がうまくいっている」というのは別に社長になるとか有名人になるとかそういうことを言っているわけではなく、高校なり大学なりを卒業して働いているという、いわば普通の状態のことを示します。
学校を卒業する人は中退する人よりも多いですし、働いている人は働いていない人よりも多いです。
それが普通なんです。でも、僕にとってはその「普通」がとても羨ましいんです。
僕も途中までは普通に生きていたはずなのに。どこで道を踏み外してしまったのか。
日本におけるニートの割合はたったの2%にすぎないようです。意外ですね。
いや、みなさんにとったら意外でもなんでもないのかもしれないですね。
ニートをやっている者からすると僕のような人間はもっとたくさんいそうな感じがするのです。
ニートは圧倒的少数派で、しかも世間からすれば忌むべき存在です。
ネットでは当たり前のようにニート叩きが行われています。
ニート当事者にどのような背景が存在するのか一切気にもかけずに、ただ「ニートである」という状態一点のみでもって断罪されてしまうわけです。
少数派で忌むべき存在であり、金も名誉もない無力なニートが何を主張してもすべて叩きつぶされてしまうのが悲しいところです。
将来への不安
ニートだと将来がどうなるのかまったく見当がつきません。
親が定年退職したらどうなるのか。生活保護は受けられるのか。
いつニートから抜け出せるのかわからないので、このままずっとニートだったらどうしようかといろいろな不安が頭をよぎります。
一番の不安はやはり金の問題です。
金さえあれば大体のことはどうにかなります。
逆に金がないとほとんどのことがどうにもなりません。
生活保護受給は年々難しくなっているようで、本当に困窮している人でさえも窓口で追い返されてしまうケースがあるようなので、将来僕が困ったときに受給できるかどうかわかりません。
僕はメンタルを病んでいるので自殺のことをよく考えます。
ですが、どんなに死にたくてもなかなか自殺を決行することはできません。
別に生きたくはないのですが、死ぬのは怖いです。
だからこうして漫然と日々を生きているわけなのですが、こうしていられるのも時間の問題です。
いつか動き出さなければならないときが来ます。
それがいつなのかはわからないし、どのように動くことになるのかはわかりません。
「そのとき」が来るまでどのように生きるか。
社会人ではないのでキャリアアップの青写真を描くことはできませんし、交際している人もいないので結婚や出産、子育ての計画もありません。
将来は完全に白紙です。
来年の僕は何をしているのかまったくわかりません。
まだニートをしているかもしれませんし、もしかしたらメンタルがよくなってバイトでもしているかもしれません。
メンタルが悪化して死んでいるかもしれませんが、それは最悪のケースですね。
将来のことが何も決まっていないというのはとても不安です。
このまま何もしないでいてもどんどん年をとってしまって働きにくくなります。
「なんとかしなければ」と毎日考えていますが、なんともできないままです。
気持ちばかりが急いて何もしていないのにつらくなってしまいます。