浪江町立請戸(うけと)小学校 | a day in the life

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どの道を選ぶかは、自分が決めること・・・

2022-9-17 福島県浪江町に行ってきた。

タイトルの小学校は、同町の海沿いにある小学校

今は、震災遺構として当時の状態で保存されている

 

この町は、ほんの2,3年前まで避難困難区域として立ち入りが出来なかった場所

今現在もこの小学校から1kmほど南のエリアは相変わらずの避難困難区域として立ち入りが制限されている。

写真2階の床部分に青い看板が掲示されているけど、其の位置まで津波が届いたらしい・・・

震災当時の航空写真が掲示されていた。今現在もこの小学校の遺構周辺には民家はない・・・あるのは数件の工場くらいだ

この小学校が震災遺構として日の目を見たのは、一昨年とのこと。

当時この小学校にいた、児童生徒や教職員93名には被害がなく無事避難できたとのこと・・・

 

震災の後、福島県を訪れるのはこれで2回目

そのときはもっと南のエリアの楢葉町に行った。当時この浪江町や其の手前の双葉町は、道路自体は車が通行できたが町中へは立ち入り禁止となっていた。

楢葉町から双葉町の境界付近には防護服を身にまとった人が車が側道とかに入っていかないように警備していたのを覚えている。

それから数年が経ち今回改めて震災の跡地を訪れてみたいと思い行ってきた・・・

 

震災から11年が過ぎた今でも避難困難区域があることが少し信じられないくらいだけど、それよりも未だに海沿いには何も無い。ということが改めてびっくりしたこと・・・

国道周囲はそれなりに復活しているけど、そこから数百メートル入るとそこはもうただの平地・・・店も民家も無くポツンと立っているこの小学校と少し先にある水産工場、そして建設中の工場・・・それ以外は何も無い。

マスメディアでは震災当日にしか震災以降の現状を目にすることは出来ない・・・

こうして現実に自分の目でゆっくりと遺構を見ていくと、当時どれだけの恐怖があったのかと改めて身につまされる・・・

決して風化させてはならない記憶、広島や長崎の原爆祈念館は見たことがある方は多いだろうが、それと同じくこの東日本大震災の記憶も自らの目で一度は見てほしいと感じた。日本は地震大国、今現在南海トラフ地震の話が広がってきているけど他人事では無く、自分ならどうするか?を常日頃から考えて、そして準備しておくことが必要なんだろうと感じる。

僕の住んでいる茨城県水戸市も当時それなりの被害を受けた。

電気が使えるようになりTVからの福島や宮城・岩手等の惨状を目にしたとき

「俺たちこのくらいの被害で良かったよな」と友人と話したことを覚えている・・・

 

この遺構の中を案内してくれた人は、当時のこの小学校の教員だった人・・・

どんな思いで児童生徒を避難させたのか、自分たちはどんな思いだったのか・・・

遺構を見ながら説明してくれた。

 

次は、宮城県山本町にある震災遺構の中浜小学校を書いてみたいと思う。

 

ではまた。