私一番好きな中国歌手(田震)
‘郷村揺滾(田舎のロック)の女王’との異名を持つ、女性シンガー。 1966年生まれ。北京出身のヤオ族で、1984年デビュー。同年、『美麗的海湾』・『無名的小花』の、2つのアルバムを発売する。1985年、侯徳鍵と知り合い、彼のバンド・花果山楽隊のメンバーとなる。同年、『蒙[女尼]ka』を発売する。1987年、初めて北京でコンサートを行う。この時歌った「最後的時刻」が大評判となる。1988年、西北風ブームに乗り、「我熱恋的故郷」・「黄土高坡」を発表する。10月28日には、中国代表として来日、“YAMAHA世界流行歌曲コンクール”に参加した。1991年に連続テレビドラマ『夜深沈』の主題歌「未了情」を歌い、全国テレビドラマ10人の優秀歌手の称号を受ける。 1994年3月、紅星生産社と契約する。1995年9月には、「執著」を『紅星壹号』に発表し、全国のラジオヒットチャートで、好成績を収める。 1998年7月、来日して“新世紀中文電視台成立記念大型コンサート”に出席した。8月30日には紅星生産社との契約が切れ、その後は喜洋洋公司と契約した。純粋なロックシンガーとはいえないが、テレビ番組出演を断わったことで、歌手最大の宣伝媒体であるテレビ出演禁止となり、歌手生命を半ば絶たれながらも、新興のレコード会社である紅星生産社と契約して大ヒットアルバムを製作し、華麗に中国流行歌壇に再登場した彼女の人生は、正に揺滾(ロック)な人生といえよう。1980年代に活躍した流行歌手の多くは、90年代半ばまでには第一線から退くこととなった。彼(彼女)らに見られる共通点は個性がないということである。政府の意向の通りに活動を続けていけば、たしかに有名になれるし、仕事もあった。しかし、それでは個性を棄てることであり、本人自身が持っている良さを失ってしまったということである。その点、田震は、古い価値観にとらわれず、中国で最も良いミュージシャン達-ロックアーティスト達-のサポートを受けることによって、良さを存分に発揮し、その結果大多数の中国人に受け入れられることとなったのだ。 2003年、喜洋洋公司を解約し、8月には自らの所属するプロダクション「自我出張」を設立し、マネージメントは「21東方」と契約した。9月16日、北京朝陽公園で行われた“2003首届中国国際飲料節”に出演した。12月14日、北京工人体育館で行われた“第5届中韓歌会”に出演した。
