どんなひとつひとつの言葉や単語にも誰かに伝えたい想いがある。


・・・なんか恋愛っぽい出だしだけど、実は違うんだな(笑)。


俺の仕事の一部は「病理診断」という、医療に詳しくない人にとっては聞きなれない仕事である。


一般的な医者や獣医師のイメージといえば「お医者さん」、つまり患者(畜)と接し、手術を含めた治療を行う人のだろう。


けれども世の中には「診察・治療」をしない医者や獣医師もいるのである。


もちろん、医師免許や獣医師免許を持っていて医療行為を行う権利はあるのだけれども興味・関心の問題もあり、あえて診察や治療を生業としていないのである。


診療や治療を行わないけれども、「診断」は行う。


それが「病理医」といわれる人の仕事である。


病理医は手術や検査で採取された病変の一部を顕微鏡で組織レベルでの観察を行い、その病変がどのようなものであるかを診察や治療を行う医者や獣医師に伝えるのが仕事である。


わかりやすく言えば、X線、CT、MRIなどの画像検査で「肺腫瘍」と診断され、採取された病変を必要な処理を行い、顕微鏡的に観察して「腺癌」「扁平上皮癌」「小細胞癌」「神経内分泌腫瘍」などより正確な診断を下すことである。


なぜ臨床的に診断されたものに対してより細かい診断が必要なのかというと、腫瘍の種類によっては抗がん剤の効果が異なることもあるし、余命をある程度予測する指標にもなるのだ。


つまり、病理医の診断というものは裁判で言う判決に当たる部分であり、その後の治療をも左右してしまう重要なものである。


その「病理診断」というのが俺の仕事の一部で、ライフワークとしているものであるが、これがなかなか病理をよく分かっていない人にはうまく診断の意図が伝わらない。


1枚の診断書には診断のみならず、その診断に至った理由付けの「所見」と呼ばれる病理学独特の言葉で埋め尽くされた数行の文章が記載されており、その所見の内容を理解できないからだ。


言葉の問題は学問のみならず日常生活でも大きな問題であろう。病理学が詳しくない人間にとって病理所見を理解できないことは日本人が英語を理解できないことと同じようなことである。


つまり出てくる言葉に親しみが少ないために、書いてる文章が理解できないのだ。


だからこそ医学や獣医学を同じように勉強してきた人でも病理学は異質な存在であり、苦手とする人が少なくはない。


けれども、基礎研究と臨床をつなぐ大事な存在だから何とか多くの人に理解してもらいたい。


診断の意図・手法、病態発生の機序、予後の予測・・・


理解しさえすればこの「所見」と呼ばれる数行の文章の中には自分の気持ちを伝える大事な情報が詰まっているのである。


少しでも興味を引くように解説をつけた組織写真も添付したりする。


まあそれでも伝え方がまずいのか難しいと批評を買うこともしばしばなのだが・・・。


この病理学という学問は直接は患者(畜)とは接することはないのだが、自分の出した診断が臨床医の治療に反映される重要な仕事である。


患者(畜)とは触れ合う機会はないが、臨床医とは診断でぶつかり合うことはある。


俺はお互い同じ職業であるから小細工なしに専門的な会話が出来るからこの病理医という職業がやめられないところがある。


俺が感じている面白さを病理をやっていない同業者に伝えたい。診断の技術を教えたい。


病理「を」もだけど病理「で」何かを人に伝えたい。


そんなことを毎日考えながら病理診断と格闘しているのです。