私には息子が三人いる。
今ではすっかりみんな大人になってしまったが、子育ては、毎日が戦争のようだった。
仕事をしながら、小中高の息子たちの学校やスポーツの送り迎えをする日々。
「忙しい」を通り越していた。
ああなると、やるべきことのみをこなし、無感覚で生きるしかなくなる。
自分の持ち時間の枠からはみ出ることは、非常にイライラした。
簡単にいうと、子供が私の思う通りに動かないと、ものすごくイライラ。
私の次男は、以前*(ここの以前については、また違う機会に)のドリーン・バーチューがいうところの”クリスタル・チルドレン”だった。
多くの人間よりも、飛び抜けて感性が鋭く、小さなことにも反応する子。
学校では、アートの時間が大好きで、勉強は苦手。
通常であれば、ある程度の年齢になると、興味がなくなってくるモノに対しても、彼は子供のままの心で今も同じものが好き。
純粋で正直すぎる。
だから自分の興味のあること以外は、できない子だった。
そういう子を育てる忙しい私は、本当にイライラの連続。
時に怒りが爆発していた。
「なんでできないの?」
「なんで行けないの?」
他の二人が簡単にできることを、全然できない次男が疎ましく思えたことさえもあった。
なんという母親であろう・・・・。
でもね、そうなるのも当たり前。
母親である私が、自分のことを全く大切にせず、自分の気持ちも無視し、『やらなければ!!』という強迫観念で毎日を過ごしていたのだから・・・。
そんな母親に育てられた息子たちは、さぞかし大変だっただろうと今は思う。
表向きは、うまくやっているように見えたかもしれないが、私の内面は、全く幸せを感じていなかった。
だから、学校にも行きたくない、宿題も出来ない、そんな次男が、面倒で仕方なかった。
そんな私の気持ちを誰よりも強く感じていた次男は、どんどんと塞ぎ込み、高校一年に入学した直後から、もう全く学校に行けなくなっていた。
先生に相談しても『忙しいから、彼ばかりを気にしてられない。』っていう感じで、全く取り合ってもらえなかった。
そういう苦しい時間が数ヶ月過ぎたある日、私は決意した。
彼が行ける学校を探そう!と。
進学率や、高校のレベルなんてものは、もう全然関係ないと思った。
彼が、もう一回、少年らしく、溌剌と毎日を楽しんでくれることが、何より大切だと思えるようになったのだ。
彼のどんな気持ちにも寄り添い、彼の言葉に共感することを学んだ。
それまでは、誰にも理解してもらえないと思っていた次男。
私にもわからないことばかりだったので、まずは、身体、心、勉強、各分野のプロフェッショナルな人たちを雇い、とにかく集中してサポートした。
お金と時間を彼に投入した事で、彼は、少しずつ彼らしくいれるようになった。
物心ついてから長い間、
『僕は、この世界にいたくない。』
『もう、宇宙に帰りたい。』
深いところでそう感じていたとシャマニズムで知るようになった。
それが、学校のクラスルームで、デイドリーミングや、ボーッとした子供ということにつながってた。
今があまりにも辛いから、違う世界に意識を飛ばす事をしていたようだ。
そういう事が、簡単にできる子だった。
きっと今でも、それはやっている。(🤣)
それが、彼という人間だから、それでいい。
できないことを無理にやらせようと躍起になっても
”やりたくなことは、できない子がいる” という事実と向き合った時、
母親として
「それでも生きててくれて嬉しい。」という根本の愛を思い出すだけだったと気がついた。
生きててくれて嬉しい。
笑ってくれて幸せ。
生まれたばかりの赤ちゃんだった彼に対しては、単純にそう思えたのに、気がつかないうちに、
『こうあって欲しい』とか、
『ああなって欲しい』とか、
母親の勝手な望みを押し付けていた自分に気がついた。
あ〜、それは苦しいよね😭。
心底共感できた。
その子が、幸せでただ笑っているだけで、この世界が少しだけ良くなるという存在がこの世にはあるのだ。
身近にいる私自身がそうなったので、これは真実。
今日のシャマニックライフ・クラスのテーマはね、
『生きる』。
このテーマをタッキーさんからいただいて以来、生きるってなんだろう?と、自分に聞き続けている。
今日は、そんな話をしていこうと思っている。
参加してくださる皆さんも『生きる』ことについて、今日は考えていただければ・・・と思っています。
今日も読んでくださってありがとうございます。
あなたの1日が、素晴らしい1日でありますように、コロラドから祈っております。