人間関係に怯える
自分のことを受け入れてくれる相手には心が開ける

だけど、自分にない感覚の事や人の世界に触れると
そこに入れなくて、苦しくなる

とっても完璧主義だったのかも知れない

そして分からない私はだめ
理解できない私はだめ
呼吸を合わせれらない私はだめ

 

そう感じる人や場面に遭遇すると
胸がグッと苦しくなる。

別に何も言われていないはずなのに
否定されているような気持ちになるのは
 

かなり父親からの影響を受けてしまっていたのだと思う。

だから何も言わない。
でも合わすことはやはり難しい。
 

昔から一直線でしか見えなかった


今となっては
『その人の世界観』として捉えてしまえば簡単なのに
境界線がなくなってしまっていた。

いわゆるHPSだ。
 

HPSというと性質なように捉えられているかもしれないが
やはり幼少期の純粋な欲求が

叶えられなかった事に直結しているのではないかと思うのだ。

私が一緒にいて楽しかったのは
すんと自分のことを受け入れてくれる子
そして海外の旅人だ

要は安心感。
受け入れられていることの安心感と
どんな自分でも大丈夫だという開放感

その2つを感じられる相手はやはり海外からきた旅人たちだったかもしれない。

今でも集団の意識の中に入っていくことは
とても苦手なのだが、
それだけ感覚が他の人と違うということは
やっぱり長所でもあり
これを抑えてしまうのか
伸ばしていくのか

そこでH S Pでも生きづらいか
解放的なのかが変わってくる


私が求めていたのは
本当に本当に
誰に対しても気を使わず
自分であることを楽しめること

思い切り本音を打ち明けられることだ


日本人の性質に
『心の調和を重んじる』
その空気感が
当時の私はどうしても耐えられなかった

せっかく海外にいるのに

日本人と調和しながら生活して
一体どうするんだ。
そんな気持ちも強くて
嫌だった。
できるだけ外国人と関わりたい。

抑え付けたものを解放して
自分を発見していくために
やはり舞台を海外に移していくということは
当初本当に大切な経験だった。

 

 

その反面、海外生活は大変なこともある
どれだけ楽しいといってもやはり文化も違い
その国の『空気』というものももちろん存在する
そしてそこに合わせていく、ということも結局同じ事になってしまう。

 

ただ、そんな考えには当初の私はとても行き着けない。

だからまずは、沢山の刺激を受け
いろんな人と関わり
いろんなことを知り
体験し

自分を解放しそして深めていく
自分が本当に心がときめくことはなんなのか
どんなことに興味があってやってみたいと思うのか
思うだけでなく、ひたすら体験し続けて
自分を構成していく

そして、今世界に放っていくために
思ったことを次から次へと行動していき
何を余らせていきたいのかを

知っていく必要があった

 

 

今となっては
日本の心は本当に細やかで繊細で
思いやりに溢れて柔らかくて暖かい

そう感じているけど

そんな視点なんて全く持てず
ただただ、イラつくだけだった。
 

今ここで私は
今まで溜めてきたものを
思い切り開け放ちたい

だから、日本人との交流をものすごく毛嫌いしていた。

そんな感覚も感情も
きっとその時は必要で
成長の過程のワンシーンに過ぎなかった。

だから、どんな想いが湧いてもいいのだと思う。
中途半端にせずにやり切ってみる。
やり切った結果なんてものも考えなくていい。

今はそれが嫌だ

それだけでいい。

 

 

 




続く