ついに、、、

ご存じの方も多いのですが、

実母が入院することとなりました。

 

2015年の12月25日、

右脳の大動脈破裂からの

くも膜下出血、

それからの介護生活。

 

母の病名は高次脳機能障害という

脳の障害と左半身に軽く麻痺が残る、

というものでした。

 

高次脳機能障害になると

①記憶障害

②注意障害

③遂行機能障害

④社会的行動障害

 

の4つが起きるのですが、

感情や欲求が抑えきれず

すぐ怒ったり、泣いたり、と

周りは本当に見ているのが大変。

 

ここに脳血管性の認知症が入り

状態はさらに悪化の一途。

 

本当に色々とやってみましたが

途中でてんかんを2回も発症し、

その都度、悪化の一途。

 

ただ、そのたびに息を吹き返し

生意気いっぱいで退院しては

周りを困らせていました。

 

昨年、グループホームに入所をお願いするも

体験の1週間後、

うちでは無理です、と

退去させられてしまい

ケアマネさんにも

この状態では他の施設でも同じこと。

預かってもらえる施設は他にはないでしょう。

 

と言われてしまい、

(そんな状況だったんです・・・)

グループホームの施設長の薦めで

精神科を受診。

それまで、精神科を受診するなんて

頭の片隅にも無かったのですが

こんな方法もあったのですね。

 

そこで、そのままグループホームの帰りに

精神科を受診。

医師は、老老介護の限界に来ている父をみて

(父は実父98歳も自宅で見ているので・・・)

 

「レスパイト入院」というのがありますよ、と。

 

要は、介護者を休めるために

1週間でも10日でも

患者を預かる入院でしたが、

その時は、精神科への入院が

とてもハードル高く感じられてしまい断念。

一度、家に帰って落ち着くのを待ちます、と父。

 

あれから、もう半年以上経過しました。

が、母の病状は悪化する一方。

 

夜は寝ないわ、明け方から起きているわ、

最近は、お金に対することが増えてきて、

もう、これでは家では無理です・・・と

父もお手上げ状態に。

 

私も3月入ってからの数週間は

さらに気持ちが落ち着かなかったです。

母のことがいつも気がかり。

お財布盗られた、

ドロボードロボーと言っていたので

すぐに実家に行って、一緒に探したり

落ち着いたかと思いきや

リュックをしょって家を出ちゃったり・・・

 

と、ここでもう、入院という決断をしたんです。

夜中に徘徊してしまって

もし、母に万が一のことがあったら・・・

取り返しつかないと思い。。。

 

そんなこんなで、

近所の精神病院を受診しましたが、

入院までに10日もかかると(TT)

 

それは困る、1日も早くしていただけないでしょうか、

と、私も先生に懇願。。。

 

すると、翌日来てください!との電話が。

その日は、たまたま、表参道で講座でした。

ので、姉と父の二人で対応してくれて

無事に、入院することができました。

 

周囲の方々には本当にご迷惑ばかりおかけして

この9年間の時間が

あっという間だったような

とても長い時間だったような

なんだか、今もまだ気持ちは落ち着かないのですが

 

これも

「治療」と受け止めて

母が入院して少しでも良くなってくれることを

祈るしか、今はないなあと。

 

すごい長々と書いてしまいましたが

なんだか私も気が抜けてしまい

先週から空気の抜けた風船のようで。

 

母との楽しかった思い出や

留学の時、母がスペインまで来てくれたこと、

引っ越しの夜、下北沢で呑んだこと、

色々と思い出されて夜な夜な枕を濡らしました。

(ってまだ地球にはいるのに!w)

 

と色々と悲観的に考えてしまいがちだったのですが

あるとき、ふと、思ったんです。

母は65歳の時に脳の病気を発症しました。

その後、母と一緒にこれしたかった、

ここにも行きたかった、などなど

後悔が先に出てきてしまっていたのですが・・・

 

65年間もなんと充実した時間を

送れていた母なんだろう!と。

思えば、娘が留学して、

留学先のスペインに、

当時、もう24年も前の昔、

母一人で飛行機に乗ってやってきて、

スペイン人やヨーロッパの友達と

一緒に素晴らしい日々を共有できたこと、

私がこの活動を始めてからは

お弟子さんたちにも本当に

温かく迎えて頂けたこと、

そしては、うちの子供を抱っこできたこと、

 

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こんなにいっぱいしてきた人生だったじゃん!

 

人生で何をしてきたか、

誰の記憶に深く残るか、

誰に何を与えてきたか、

 

それを思うと、

65年間、母はとっても立派だったし、

素晴らしい人生だったなと。

 

その後の9年間のことは

きっと家族全体が共有する

とても必要な経験だったと思い。

 

だから、後悔よりも、

充実してきた時間こそに

目を当てると、

なんだかとても今が光り輝いて

映し出されるような気がします。

 

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そして、この先もきっと、

また何かあると思うのですが

いったん、本当に一段落した今日この頃でした。

 

長文をお読み頂き、

本当にありがとうございます。

 

自分でも、今の気持ちを振り返れるように

言葉にしてみました。

 

母への愛は変わらないし

感謝する気持ちも同じ。

 

だから、私も生きている間に、

できることをひとつずつ、

丁寧にやっていけたらと、

改めて思う春分明けの1日でした。