こんにちは今日は少し肌寒い感じで目が覚めました。

 
最近少しづつ早起きに慣れてきている
『Truth Happiness 』代表の山根真喜です。

という今日も末っ子のかけた目覚ましの音で7時半に目が覚めたので、厳密にいうと「慣れてきた」ではなく「起こされた」でした。
 
そんな私は、主に「未来透視カウンセリング」がベースに活動しています。
ご存知の方も多いかもしれないのですが、執筆を念頭に目下学びの真っ只中にいるのです。
今年の3月から講演「人を育てる」「人から育てられる」をベースに活動を開始しました。
そろそろ2回目を企画中です。興味がある方がいらしたらチェックしてもらえたら嬉しいです。
 
話しを本題に戻します。
最近私は朝に散歩を始めました。
コロナな生活が始まるまでは、芦屋の街に咲く花や樹々の緑に癒され、鳥たちがさえずる色とりどりの歌声に耳を傾けながら歩くのが大好きな上に気候も良くなって来たことが背中を押されました。
 
夙川での2年間生活も、もちろん素敵でした。
芦屋にはその規模より多く、個人宅の庭の緑までがマイナスイオンを放出してくれているんだろうと思える潤いを放っているのです。
私がこの土地に引っ越しできて1番気に入っていることの一つなんです。
 
コロナなが蔓延し出すまでは、仕事や特に出かける用事のない時には、散歩の帰りにお茶タイムを終えてから帰宅するのが楽しみになっていました。
 
一番のお気に入りは『Tea Saloon MUSICA』さんでお茶を飲をどれにするか聞いて茶葉を選び、テーブルにやって来た爽やかな香りを嗅ぎながらお茶お飲み、本を読みながら『エレファントリング』をつまみ紅茶に手を伸ばす。という時間を過ごしていた最中に自粛の波が押し寄せて来てお店は今休業となってしまっています。
 
寂しーーーって体が叫ぶので、家から直ぐ近くに茶葉だけ購入できる店舗へ買いに行き「お家時間」用も購入して飲んでいますが、やっぱり『Tea Saloon MUSICA』さんで飲む紅茶が最高なんですね。
 
まだオープンされていませんが自粛が解けたらオープンされると思うのです。
お近くの方でまだ来店されていない方や、芦屋市外から来られる際にはお勧めな場所なので是非覗いてみてくださいね。
 
そんな中、ムジカさんも行けないとなった時に通い出した(厳密にいうと前からだけど)のが『珈琲花』さんです。
 
ここはクラッシックなカフェならではの雰囲気なんですよね……
朝から行くととても静かで居心地の良さが抜群に私好みなんです。ブログを書いたり、本を読むのに最適で落ち着くお気に入りの場だったのだけど、ここもゴールデンウィーク前までオープンしていました。自粛ムードでさすがに閉まってしまうのもしょうがないのも承知して入るものの、お店が閉まってしまい寂しいです。
 
それからというもの、お家で掃除して色々家事こなしたら、椅子に座って動かない生活が続いていたのです。
私は悪血の溜まりやすい体質らしく、結構歩いたりするのが体にいいらしいのです(まぁ誰でもだけど)。
左脹脛(ふくらはぎ)や、左膝裏(ひざうら)がむくんできて痛みも少し出て来たことをきっかけに、歩こうと決めるのですが、
なかなかエンジンが掛からずにいました。
 
私は、対面セッション「Fortune Futureカウンセリング」の依頼を受ける時に「芦屋のロイヤルホスト」を使うことを思い出したのです。
それで、最近始まった朝のウォーキングの帰り道に立ち寄ってみたら、朝はほとんど人がいない上に、店内が広いので3蜜にもならずに、いい感じでテーブルとテーブルの感覚が空いていて、周りを気にせず集中して午前の時間没頭して作業できるんです。
 
『大切な時間を過ごす場所ってとっても重要』これがクリアになったことで楽しくなってきました。
エンジンがかからないというのはただの言い訳にすぎず、結局やるかやらないかただそれだけなのだと反省しています。
でもね、撮りようによったら寝かせていた物事が満を辞して動き出す作業にも似ていると思っているので、全く卑下していません。
 
「場が整った」ってことで、自分の中では他のことも動き出しています。
どんな時間に作業をするのかも鍵の一つだと気づかされました。
その行が為朝だったことを何年ぶりかに実行に移せていることが自分を元気にしているようにも感じています。
 
12年前手探りで始めたこのお仕事が軌道に乗り始めてからは、起きたら子供たちをそれぞれ送り出し、家事をする前にメールをチェックし、ブログを一本書き終えてから、家事をこなし依頼があるときは出かけて、帰宅そしてご飯の支度から寝るまで動きまくっていた私。その時の私は疲れ切っていたのですが仕事が面白くてその生活を倒れるまで止めることができませんでした。
 
そんな失敗の経験も全て自分の糧になっていると心から思えるのは、主人がパートナーとして共に支え合える存在であったことが本当に大きな力を与えあっていたからだと考えます。
 
末っ子が今年の春中学一年生になりましたが、コロナで学校へもいけずにいるため、今の生活では朝時間を有効に使おうとしても進まないのが現状です。
頭もからだも詰まりかけていた中、読んでいた本から朝の時間を気づかせてもらいました。
 
その本は↓
 

最近この本を半身浴しながらのお風呂タイムに読んでいます。

 
私はどうやら変わり者なのか、本そのままを受け取ることはできないまでも、自分のやりやすいように、勝手にやってしまうのは得意なので、間違っていたとしてもスムーズに運べばいいと思ってないはともあれ行動をこのむ動物のようです。
 
その上どんなに素晴らしい物や作品だって、手に取る人のよって感じ方が違うはずだし、違っていいと思うのです。
そして病気だって、人間だからみんな一緒ではないはずなんです。
今回世の中を恐怖に落としれた「コロナ」だって同じ年齢だから、同じ症状になるとは限らないし、インフルエンザでも同じだし、癌細胞だとしてもそれぞれに違っていると思っています。
例えば、体の中の臓器一つ一つにも人間だから同じ形であるわけではないし、なんでも一緒に扱うのは違うと考えています。
 
だから私は私のやり方で生きるのです。
その時に気をつけないといけないことがるように思います。
 
本当に自分の体のことを知っているのか?
自分の心はないを求めているのだろうか?

分からないことは調べ、学び、その上で自分の概念を見つけていくことが自分お人生を生きていくことになるのだと思っています。

 
今の私は朝の時間を有効に使うことで、講演活動と執筆作業をしています。と、言えるようになるまで自分のリズムを模索しながら
コロナとの共存も踏まえ「真実(ほんとう)に喜び生きるために」どうするのか、を伝えて行く覚悟を持ちました。