早朝の函館、朝7時に起床したのだか…俺の身体に魔の手が襲い掛った、簡単に言えば高熱に見舞われた最悪の寝起き、7時半にはもちろん朝食です、朝食を終えてから荷物を整理、ホテルの中にある売店でお土産も購入し9時にホテルを出発したんですけども、ここからは3時間半は高熱でダウンしている俺にとってバスの中は地獄…まぁ風景を見るのは良かった、ただネックウォーマーを鼻まで隠さないとダメだった、簡単に言わせてもらうと朝飯を食った後に気分が悪くなってしまったためで朝食前に嘔吐しちまった、それを1年生の時のクラスメイトの山下に見られると言う…山下からも「何してんねんお前」と言われたが山下は俺が体調が悪い事に気が付いたのでしょうか、トイレで会った友人の宇田川や増永や矢野などからバレていたが、見られたら相当恥ずかしいですよ、そんな訳で12時半頃に白老に到着し『アイヌ民族博物館』へ行くことになってはいたのですが、俺はクラス写真の後の前席でグロッキー状態で昼飯が食えない状態で苦しかった、時々、引率の横山先生が俺の事をとても気にかけてくれて、横山先生、あの時は本当にありがとうございました!
14時半に新千歳空港に向かい出発し1時間後の15時半に新千歳空港に到着、ANA1718便に搭乗、その便は17時に出発、正直なところ俺は実家には帰りたくなかった、修学旅行が楽しすぎて東日本に定住したくなって物悲しくなってしまった訳で、離陸前もダークだった、まぁ不思議なことに俺は飛行機の中で風邪が治っちまったのか分かんねぇけど、離陸前に上機嫌になり「おっぱい」ばっかり連呼していた俺、正直なことを言わせてもらうと頭は大丈夫じゃなかったみたいだ、山下からは「精神科に行っても無駄やろコイツ!」と言われる始末だった、19時に関西空港に到着、何故か俺の親父と親父の弟が偶然にも仕事で関空に来ていたみたいで帰りは親父と二人で帰宅、帰路の車で嬉しいことに車内で俺の大好きな『マルーン5』の特集やっているラジオがあって俺はそのとき心の中ではテンションMAXだった、『Makes Me Wonder』と『Misery』は今でも色濃く印象に残っている、大体20時ぐらいに帰宅し『ぴったんこカンカン』を見た、その後に自分の部屋に入ると懐かしい雰囲気が漂っていたが何故かそのときはすかさず俺は引っ越しの準備がしたくなってしまった「もう1度あの地に戻ろう」と決意したのもその時だった、俺は西日本に住むべき人間ではないのだと改めて知った、そのとき心の中もメチャクチャだった訳で家出したかった、もうあの時間に戻ることも出来ないと言うのは分かっていた、タイムマシンがある訳じゃねぇし、数分してから「友人を見捨てる訳にはいかねぇな」と思ったその時に俺の心は浄化された、そして夕食、実家での食事は日曜日の夕食以来だった、食べ始めたのが22時、23時に風呂に入った、風呂から上がったときには既に日付が変わっていて、その時に「高校の修学旅行が終わった」、「たった1度きりの修学旅行が終わった」のだと実感した、1時から『AKB48のオールナイトニッポン』を聴いた、今は水曜日の深夜ですが当時は金曜日の深夜に放送されていた、この日は、柏木由紀・倉持明日香・高城亜樹の3人だった、フレンチキスの3人でしたね、もちろんカセットテープに録音していたからいつでも聴けて今は親戚宅に預けていたが、東京へ引っ越しの際に廃棄処分してしまった、3時に番組が終わったと同時に俺は就寝、翌日の朝に岩手から荷物が届いた、その後にカバンの中の土産を渡しに親戚宅へ行った、そして、修学旅行のしおりは今日に至っても一切捨てず大事に都内の自宅に保管している、なぜ捨てないのか、また同じルートで行く予定だから、その当時は「別にその地に就職してもいっか」てな感じだったが今は夢を叶えることが第一の目標、最低でも下見気分でもいいから行きたい、当時は17歳、もう早6年の月日が経って現在23歳、この6年間は本当にあっという間、これが青春の結晶って奴だな!