お給料を決めているのは、自分なのだと思う。

いつだって○○万円くらいしかもらえなくなった。

むしろどんどん下がってきている。

どうしてなんだろう?

答えは自分が知っているはず。

自分に聞いてみよう。



周りの人も自分なら、お給料をくれている人も自分

自分に聞けば、答えは必ずわかるはず!




まずは、イメージの中で母に言いたいことを言ってみよう。



私 「なんでこんなに安い給料しかくれないの?売り上げはちゃんと上がったよね?」

母 「ごめんね。お父さんにも相談しなくちゃと思ったし、冬にはボーナスを上げるつもりだから」

私 「そうゆうことじゃないよね!時給××円って、おかしいでしょ!!あまえてんでしょ!!売り上げのない時なら無理くり我慢したけれど、売り上げ上がってさえこうなんて、あまりにもふざけてるでしょーが!! 」

母  「ごめんね。今度から今度から・・・。」






それでは、今度は、母の中に入ってみます


私 「いい加減にしてよ!! 娘だからって給料払わなくてもいいと思ってるんでしょう!?冗談じゃない!ふざけんな!!」


母の中に入った私 「あんたがそれでいいって言ったんでしょ!」







そうだ・・。
私がそれでいいって言ったんだ。
仕方ない、、、って思ったんだ。

“この人たちはお金がないんだから助けてあげなくちゃ”

“このひとたちはどうしようもない人。お金を払って人を雇うことなんかできない可哀そうで頭の悪いバカな不成功者”

“私は優しい人だから、どうしようもないこの人たちを助けてあげなくちゃ”


って思っていたんだ。

この人たちを下げて下げて、自分が上になるために・・・。








父と母の定義を変えよう・・・。


父は、身ひとつでお店を起ち上げ、30年も続く地域一番店にしたすごい人。
父は、お金持ち。
父は、ひと財産築いた。
父は、すごい人。
父は、十分に報酬を与える人。
父は、十分に感謝を伝える人。




母は、父を手伝い商売を軌道に乗せたすごい人。
母は、十分に報酬を与えることの出来る人。
母は、遊ぶこと、楽しむことが好きな人。
母は、私たちにとても感謝しているので、十分な報酬を喜んで与えてくれる人。





そしてもう一度イメージングしてみる。


私 「店は危機を脱し、売り上げも伸びてきているのだから、正当な報酬をください」

母  「ちょうどお父さんともそうしようと話していたのよ。あなた達のおかげで店のだいぶ良くなってきたのだから、せめてアルバイトのYちゃんと同じだけの時給は出さなくちゃね!それ以上は自分たちの提供していおる分野を伸ばしなさいね!」

父   「君たちのおかげで、店はどんどん良くなっている。いままで我慢をさせて悪かった。君たちの給料くらいは十分に出せるようになったから、安心して受け取りなさい。」







母と父に入ってみて、もう一度イメージングしてみよう・・・。



母に入って見つけた、もう一個なにかのもやもや。

あげたいけど、あげられない。このもやもや・・・。


お金は十分じゃない

お金が十分じゃない

お金は十分じゃない

来月はどうなるかわからない

これからずっとお金がちゃんと入ってくるとは考えられない







この思考。あった。この思考。また見つけた。

お金が入ってこないかもしれない恐怖心。恐れ。


お金が無くなったらどうしよう?
お金が減るのが怖い。
お金を手放したくない。



この思考、あります。
そう思っていることを認めます。
この思考を送り出していたこと、認めます。
これを現実化させてくれていたんだね。ありがとう。
でも、この現実はちょっとちがいます。思考の出し方をまちがっていました。

私は、お金がたくさん循環して、たくさんめぐって、たくさん気持ちよく使うのが好きです。
これからはその思考を送り出します。

いままで、この現実を本当にありがとうございました。








よし!!! 

もう一度イメージングしてみる。

母の中へ・・・


私 「正当な時給をください」

母 「うん、わかった。いままでごめんね。もう十分に渡せるから、これからはもっと楽しく働いてね!」







わぉ! すんなり。。。

良かったよ

良かった。。。