一年に一度

事故現場で事故の時間

大学関係者、ボランティア、地元警察

自動車部の有志の方たちで

啓発活動をしてくださる


私も参加させていただこうと

仕事を早退して高速で向かった


道中、前のトラックからの落下物がフロントガラスに当たり大惨事に

落下物が飛んでガラスに当たるシーンは

今でもスローモーションで

トラウマとなってフラッシュバックする


当然啓発活動には参加できず、

帰宅は夜になってすっかり疲れてしまった


命日の前日に

今年から自動車部を再開するに当たり

世話役のOBを呼んで慰霊祭をすると

直前になって大学から聞いて

他に予定があったため行けなかった私は

当事者の私達を外して連絡もせず

部活再開の言い訳の慰霊祭なのかと

残念な気持ちとともに

心中怒り狂っていた


命日の1カ月後、大学から

部活動再開の説明に来られて

とっても申し訳ない気持ちになった


息子のお友達は

命日に自発的に集まって

現場と部活ガレージで

誰が用意したかわからない

蝋燭立て、線香立て、花等等を用意して

手を合わせていたらしい

当然何も無いところの地べたに置いて、

お経読むわけでもなく


集まっては話すだけの

活動できない悔しさと

辛い思い出を共有するだけの命日

慰霊祭とは名ばかりのただの集まりだった


その姿を想像して涙が出た

申し訳無い気持ちでいっぱいになった


現場近くに慰霊碑を建てることが叶わなかったので

せめてガレージに

今後の自動車部の生徒のために

何か建てせて欲しいと

咄嗟に言葉が出た


先月の落下物の事故で

廃車になりながら幸いにも無傷であったのが

息子が守ってくれたと

高速警察隊 黄パト、職場同僚口々に

何度も言われたが

あの事故は私が慰霊祭の件を誤解して

大学の対応に怒っていたことに対して

息子が戒めたのでは無いだろうか

大学からの説明を聞きながら

取り留めもなくそう浮かんだ


どうしてこんな事故に私が合うの?

どうしてこの日?

息子は事故の直前どう思ったの?


真実はわからないけど

この世に偶然は、無い


同級生、仲良くしてくれてたお友達

数時間共に過ごしただけの後輩

みんなみんなありがとう

そしてごめんなさい

息子達を忘れず手を合わせてくれて

本当にありがとう


どうか自動車部への入部を希望する生徒を

これからの自動車部を

暖かく見守ってあげてください