2年前 悪夢の一本の電話から始まった
息子がいなくなった日
息子の想いが止まった日
母と今年も現場まで
実家の庭に咲く花と
息子が好きだったお菓子
お友達の分と共に供えて
蝋燭を灯しお線香をつけて手を合わせた
今日は大学の先生もいてくださった
事故の時間
この場所で
大学学長
学生部長
学部長
地元警察
大学ボランティアサークル
自動車部顧問
自動車部員
大勢の方々で啓蒙活動をして下さった。
雨じゃなくて良かった
今にも泣き出しそうな空
小寒い夕暮れ
お友達も携帯の中で何人かが息子を思って
命日の今日色々と載せてくれたらしい
就活の話題etc、、、
息子の分まで、と言う事なのかな
同級生みんな前を向いて頑張ってるそう
大学も世の中もコロナが無かったかのように
以前に戻りつつあると実感する
毎月 ここに来る度
道中街中の人も車も観光客の外国人も増えてきている
息子がお友達が欲しくて大学生活に期待して
一瞬 緩んだコロナ対策の中行われた
新歓パーティーで
嬉しくて楽しくて乗り合わせた仲間
毎回毎回
どうして、なんで、あの日ここで、、、
大学の先生が
「途中で一度でもブレーキ踏んでいればね」
「・・・」
裁判で見たドラレコの映像がフラッシュバックする
多くの皆様
会ったこともない息子達のために
足を運んで行動して下さって
本当にありがとうございました。
思っていただけるだけで
覚えていてくださるだけで
遺族としてどんなにこの長い1日の辛さが癒されるか
この先 誰も私達のような
辛い悲しい思いをすることになりませんように
今日くらい来るだろうと思っていた私がバカだったが、親の勤めを忘れた人のことを聞かれるのが
何より辛い 今日この頃
早くダンナでも父親でも無くなって欲しい