とうとうこの日が来た


始まるまで約2年


近づくにつれ眠れない夜が続いた


ありとあらゆる

使えるものはみんな使って

何が何でも参加して

事実をこの目で確認して

あの世で待ってる息子に

母ちゃん頑張ったよ、

と息子に報告するんだ、

そう決めていた。


どうしてこうなったのか

乗り合わせた他の子はどんな子か

加害者の運転手は


何をどう思っても

辛く、悲しく、息子が戻るわけでもなく

なぜ私の息子が

なぜ私が

このような人生になったのか

出来たらなにも知らずに

このまま今のまま

過ぎて行って欲しかった


辛く悲しく楽しくも無い毎日なりに

波風立てずただ息子に会える日に向かってる

そのまま放って置いてほしかった


真実を知ることが

現実と向き合うことが

傷口を大きくするだけだと分かっていながら

それでもそんな私の苦しみは

奪われた息子の夢や希望や思いや笑顔に比べたら


比べるまでも無かった


母ちゃんができる

息子への最後の務めだと


強制でも決まりでもなくあくまで参加は自由


最初はダンナの不参加にも

ダンナなりの思いがあるだろうと

その程度に思っていた。


公判初日

一般傍聴席に入りきらない傍聴人

そんな一般傍聴人以下だと

その日は考える余裕もなかった。