事故後初めて

息子とのLINEのやり取りを見た

悲しませるような苦しませるような内容を

書いて来たんじゃないかと

確認するのが怖かったと言うのが

正直かもしれない。


私とのLINEのやりとりを嫌がったので

実際、始めてから1年半くらいの期間しかやり取りがなかった

ほとんど食事、洗濯物、送り迎え

他愛ない日常の事務連絡

ちょっと安心した


私が2〜3行書いても

返事は5文字ほど


しかしその言葉少ないやり取りの中でも

息子らしい

まだ生きていて

返事が返って来そうな

つい昨日のような会話


300坪の敷地に住む一人っ子の跡取りに

自分の部屋も与えてあげられなかった

そんな息子の唯一の居場所

手のひらの上の四角い機械だけが

片時も離さない彼の大事な大事な世界だった


だから私は

沢山のお友達とのLINEも

読めない

読んじゃいけないと思ってる

大事な息子のお友達との世界

相手の子はどう思ってるかわからないが


息子との思い出の一つとして

持っていって欲しい

いつか忘れてしまうとしても


私は時々、ダンナとの裁判、調停

愚痴、悪口等も書き込んでいた

部活、塾、受験、引っ越し

一人暮らし、バイト・・

嬉しいことも辛いことも


目まぐるしく生活が一変した1年半だった


そんな息子も面倒くさがりながらも

正直にお返事してくれてたと思う


それでも彼の想いをもっと汲んであげて

寄り添って

息子にしてあげれたことが

もっともっとあったのでは無いか

巻き込んで申し訳ない

の反省や後悔と共に


いっぱいいっぱいだった自分

息子だけが光だった自分

いつか息子とここを出て

新しく始めるための我慢、努力、希望


大人になって行く息子への

最後の仕上げとしての躾、価値観

男として人として

どうあって欲しいか

どうすべきか

何をすべきか


そんな様々な私の言葉が綴られて

沢山の出来事と思い出が綴られて

そんなこんなも全て


今頃、ダンナに読まれてしまっている


想定外


私は間違ってない

ウソもついていない

ノンフィクションドキュメンタリーだ


ウソと見栄にまみれ

思いやりも苦労も努力も無縁な人に

どう映っただろう



そんなのもうどうでも良くて

ただ

泣ける

思い出一つ

息子の言葉一つ

息子の思い一つ


何度ひらいても

二度と返事が来ることのない

変わることのない

最後の日付だった