今日 息子の車を友人の親に譲った


私が買い与えた物ではないので

所有者のダンナと息子の友人の親とでやり取りして引き渡したらしい


私の車の前に埃をかぶって

ずっと止めたままだった


友人の親の申し出により

赤の他人に売り飛ばされる事は回避され

いずれ手放すときは

私が譲り受ける

それまでの間所有していただく

それについては感謝しかない


相場の半額で譲ったダンナの真相は分からない


私が乗れないような保険の内容

こうなってからの保険の更新は

虚偽記載

この世にいない息子の名前で

年齢はダンナの年

どうやってそんな契約ができたのか

調べてくれた保険屋さんも不思議がった


寂しいとか悲しいより

一番の親友の元に行けたことで

本当に息子が喜んでいる

そんな気持ちだった


私には生活費を渡さず

自動車保険を自分で払え

車返せ

11年乗って買い替えた車ですら

財産分与で差し出せと裁判で言ってきた


以前このブログで書いているが

ダンナが息子に車を買い与える時に

私は息子に良い言葉など

一つも掛けられなかった


「分不相応」

イヤミ、妬み散々

私の信念と真逆の方法で息子の親権を

金で買いたくて仕方なかったんだろう


その為に私は息子に幾つものウソをつかせた

この車も「中古で350」

と聞いていたのに

こうなってから知ったのは新車でフル装備

さすが外車

と言うお値段


そんなダンナがどんな思いで譲り

今何を思っているのか

今ではない、こうなってからずっと

さっぱりわからない

知りたいとも思っていないし

どうでもいいと言うのが本音

そして一つ

ダンナと息子をつなぐ物がなくなった

安心感


正直、私の車の前に止められたA1を見るたび

息子の嬉しい表情とか気持ちと同じか

それ以上に

私が息子に「良かったね」

と息子の気持ちを汲んであげなかったことや

言ってしまった言葉

そう言った悲しい取り返せない思い出の方が多く

申し訳ない気持ちを思い出すことのほうが

多かった


私は2、3回しか乗ったことがなかったし

実際息子も5か月しか乗れなかった。

思い出らしいものは私には何一つ無く


ただこうなってから

色んな友達に

色々連れて行ってもらった

楽しかった

とても安全運転だったので安心して乗れた

などと言われて 良かったのかな?

幸せだったのかな、

と思えたくらいのことだった


プライドの高かった息子の

大切な大切な自慢の車

ハイオクガソリンのためにバイトを頑張り

いつもいつも笑顔で乗り込み

笑顔で降りてきた


良い思い出も

悲しい思い出も全て乗せて

「一番の親友」

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