今の自分につながるルーツかもしれない自分の昔話を思い出したので紹介したいと思います。

多分この記事が初出になると思うのですが私、宗教2世でして子供の頃は親が入っていた宗教に
一緒に入っていたんですね。
(なぜか宗教2世絡みの話をするとその記事がボツになるんですよね。
神様(かつて入っていた宗教に限らない上位存在全部のこと)が話をさせてくれない。
でも諦めない)

その時にその宗教の神様に祈る為の祭壇を子供なりに作ろうとしていた時期があったのです。

砂場で豆腐の空パックを使って砂を四角い形に型取り、枝を立てて……みたいな

ほんとに子供遊びみたいな祭壇。

その祭壇を作ろうとした真意は本当にその神様(かつていた宗教の神様のこと)を信じていて、

その神様を身近に感じたいということにあったのか

それとも本当は宗教に興味はないけど何とか自分なりに宗教の教えに従えるように工夫をしたことにあるのか

今となっては分かりません(けど、何だか後者に近い気がする)

ですが、結局その計画は果たされませんでした。

どのタイミングだったか忘れましたが親にその計画を話した所叱られたんですね。

というのも、その宗教では具体的なモニュメントや祈る場所をもつことがなくて(メッカとか、ロザリオとか)

祈る為の場所あるいはそういうモニュメントを作る行為は「偶像崇拝」に当たるというのです。

当時の私としては「いいアイデアだと思ったのになぁ」といったところでした。


話は現代に移り、今の私は時折神社に参拝し家には神棚があります。

そんな今の自分を見ていて思ったのは“自分は昔から「神様にそばにいて欲しかった」”んだなと。

親は「祈る為の場所や物がなくても(親の)神様はいつでもそばにいてくれる」と言うのですが

そうではないのです。

家に帰ってきて「ただいま」って言ってみたり、お供え物をしてカーテンを開けて日が当たるようにしてあげて

あたかも生きている(生き物のように生活するという意味)かのように扱ってあげて

時には話を聞いてもらう。

そこに形として存在して、一緒に暮らしたかったのです。

そう思うと何だかんだ神社巡りや神棚、神道に流れ着いて

おまけに龍に懐かれると言うのは願ったり叶ったりな気がしますね。

意外と望めば叶うもんなんだなぁって思います。

側から見れば単なる幼少の記憶ですがじっくり考えると幼少の時点ですでにそんな思いが

存在していたんだなぁって感じます。

幼少の記憶って結構侮れないかもしれませんね。





※個人的な思いから私がかつてどの宗教に属していたかは明記しません。
どこに属していたか推測されてコメントをするのは自由ですがそれに対して私が正否を答えることは
致しませんのでご了承ください。
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