私、とある人のことを無意識に「才能に惚れる」と呟いたらしい。



『才能』を辞書で引いてみると、

「生まれつきの能力。また、その働きのすぐれていること。才幹」『日本国語大辞典』より

「物事をうまくなしとげるすぐれた能力。技術・学問・芸能などについての素質や能力」『大辞林』より

「才知と能力。ある個人の一定の素質、または訓練によって得られた能力」『広辞苑』より



「もって生まれた、すぐれた能力」という意味が一般的であるけれど、
私が呟いた「才能に惚れる」の『才能』は、広辞苑に書かれている『才能』の解釈に近い。 




そのような話をしていたら、
ただ単に『才能』についてではなく、「才能に惚れていく仕組み」についてご紹介された。


基本的には、「才能に惚れる」というのは、才能をきっかけに興味を持ち、才能以外の面を知って惚れていくという流れらしい。


ただ、才能が突出していれば、誰もが惹かれるというわけではなく、そこから「共感」が必要となる。

実生活では、相手だけが才能に突出していたとしてもパートナーにはなれない。



魂のレベルが同じ人は同調と共鳴が起きやすく、心理的にも精神的にも惹かれやすくなる。

考え方や価値観、境遇や経験が似ている人は、出会った時に同じ匂いを感じるような仲間意識があるとのこと。





「普通の人と違う領域に踏み込んで、その『向こう側』での経験を、こちら側に持ち帰れる人。そういう意味でまともじゃない才能」と感じて、私は「才能に惚れる」と呟いた気がする。



なんにせよ、『才能』はその魅力ゆえに、否応なしに人の心に波紋を広げる。