一年前の私に。 | ❤️大塚ファミリーのゆるらぶワールド❤️ *ANGELIC *

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アンジェリーク&家族愛の奏でる想い…Love&Peace



昨年の今日の投稿を読み返し

今の自分を照らしてみる 





《愛するアンジェ》
2020年3月28日

17歳を迎えたアンジェ。

昨日(3.28)から様子がおかしい。ずっと寄り添い一夜を過ごしながら、一昔前は私とアンジェだけの生活が当たり前だったことを思い出す。沖縄滞在中から徳島に帰郷しても愛猫が亡くなった話を連日聴かされてる。その相手に語る自分の言霊にアンジェを重ねてた。

変な話かも知れないけどここ数ヶ月、アンジェの死を意識して向き合ってる。私と重ねてる部分もあるし、いつお迎えが来ても私が私を全うし、心残りなく送ってあげられる私であるように1日1日をやりきってる感じ。相手は、猫。だけど、ずっと二人三脚で生きてきた子。アンジェと共に生きることで私自身救われてきた。


アンジェとの縁はアンジェリーク独立から一年後。
突然、店の壁から猫の鳴き声が響き続ける…当時の決断は“壁を壊そう”だった。知人を呼び、スタッフたちと壁を壊してゆくと生まれたばかりの猫が梁に引っかかってた。誰もがビックリしたのは小ちゃな猫だったこと。あの大きな鳴き声がこの子?救い出した途端に鳴き声はピタリと止んだ。親猫が安全な天井で生み、1匹だけ誤って隙間に落ちたらしい。

その場にいた夫婦がすぐに病院へ連れてゆくと、生命は持つか分からないと告げられたが、友人夫婦の愛に包まれ、生き延びた。次は猫の貰い先。有難いことにまた別の友人が引き取ってくれる話になった。ただ2.3日待ってと言われ、その期間だけ面倒見ることになった。共に過ごした数日。情なのか、私は猫を手放せなくなった。
その想いを友人に伝え、初めて猫と24時間共にする生活が始まることになる。「アンジェリークから出てきた子だからアンジェね」と決めてくれたゲスト様。猫に“アンジェ”と名が付けられた。その後、ゲスト様方は知っての通り、代わり交代に抱っこしてもらいながらシャンプーする。ゲスト様が来ると膝の上に乗りにいく子になった。どれだけ愛を注いでもらっただろう。アンジェは愛された分だけ、人に幸せを与えるようになった。与えようとせずして与えられる幸せの連鎖。“鶴の恩返し”ならぬ“猫の恩返し”になり交わると幸せが訪れるとの噂が街中に流れ、雑誌に載ることもあったな。
出張時も共に同行し、飛行機は何度乗せられたことだろう。壇上に座って一緒に舞台に立つこともあった。瞑想会もよく連れてった。まるで存在してないかの様に静かに淡々とある子。どんな時でも、どんな事があっても変わらず側でい続けてくれた。
私がいなくなるとストレスで毛が抜け落ちたり、吐いたり、フィーリングが合わない人には威嚇して近寄りさえしなかった。
あの行為が今なら分かる。自分に合わないのではなく“私に合わない人”を教えてくれてた合図だったとね。



ヤスくんとの出逢いから結婚まであっという間だった。その時、アンジェがすんなりヤスくんに懐いたことを思い出す。結婚を決めた意志は私の直感。だけど、アンジェがすんなりヤスくんに馴染んだ意思表示も選択の大きな決め手だった。

昨夜からずっとそばに寄り添いながら今迄のことを振り返る。蘇るのは惜しみなく愛してくれた人たちのこと。今は会ってない人たちの笑顔までもが、泉が湧くかのように思い出される。アンジェリークを共に盛り上げてくれた仲間たちの優しさや、我が子のように接してくれた人の優しさが今も覚めることなく、私の心に響き、背中を押してくれてることにあらためて気づき、とても感動してる。

今は7匹の猫たち、旅に出た子も合わせれば8匹、そして犬。当時は想像にないビックファミリーの現実。
アンジェを救出してからから次々とやってくる猫たち。
7年後にやってきたのはボードウォークでみつけた猫“リーク”だった。家に帰る途中に出逢い、連れて帰ろうと言ったのは、ヤスくんだった。
最初アンジェは威嚇してたけど数日で受け容れ、何を思ったのかお乳を吸わせだした。それ以降、我が家にやってくるすべての猫たちにお乳を吸わせ続けてる。血の繋がりもなければ、オスなのに、何のジャッジもなく、身を捧げる姿にどれだけ気づかされ続けただろう。

長々と綴る中でアンジェのように淡々と在れるか?と自問自答してる私がいる。違和感を感じたから寄り添ってるものの、痛いと喚き散らすこともなければ暴れるわけでもない在り方。人間と照らし合わせたり、自分と重ねて物事をみることを一旦切り離す。
人は人、私は私と同じで人間と動物も異なる。
きっと痛いとか、苦しいとか、感じる肉体はあったとしても既に動物たちはその運命までも受け入れてる。それを何とかしようと拒んだり、戦ったりするのが人間の欲なんだろう。

今日ご予約のゲスト様にはアンジェを抱いてもらいながらお手入れさせてもらった。一時も離れたくないし、繋がる人たちからエネルギーを貰いたかったのもある。何にせよ、私のワガママを受け入れてくださる皆様とアンジェに感謝。どんな状態であろうと優しく包み込んでくれる人の愛にありがとうでいっぱいになった。


夕方。
状況を伝えてた友人夫婦が診察してくれた。
アンジェの状態を熟知してくれてるのは勿論のこと、私たちの意思も理解してくれてる人たちだからこそ、すべてを委ねられた。我が子のように接してくれる心に私たちも安堵する。
検査結果はやはり良くない。現状況を知った上で、これから3日間処置を施す事で話はまとまった。ここでも私のワガママ。
延命処置だけは取りたくない。人にも動物にも天命があると信じてる。もっと一緒にいたいと思う欲は無く、アンジェが生きてる間は楽であってくれることだけを願う。もっと言えば“楽である”と思うことも欲だったりするのかなとも思う。
本当に愛してるからこそ、アンジェの生き様を見せてもらいたい。今できることは私の時間とエネルギーをすべてアンジェに注ぐこと。だから側でい続ける。あの時こうしたら良かったと後悔する選択だけはしない。

家族ができるまで7年間べったりだったアンジェ。子どもたちが生まれいっしょに寝ることも寝る場所も変わり距離感が変わっても、彼のまわりにはたくさんの猫がやってきた。みんな血は繋がってないけど猫世界の絆を感じる。アンジェを筆頭に皆がいる。静かなリーダーとでも言おうか…在り方そのものが威厳を成してる。

昔はお店に来ればアンジェが出迎えてくれた。今は若手がアンジェのように行動する。それもバトンを引き継いだのだろう。私はアンジェがいつどんな選択をしても受け容れられる私であるように、今を生きるだけ。
私がしたいことをする…これに尽きる。

千恵子のようにずっとそばでいるのは辛いと言う夫。
日常と変わることなく淡々と日々の事を熟してくれることも有難い。こんな時でも私のワガママが通るように計らってくれる。

悠太郎は「もう死ぬの?」と何度も聞いてくる。死んで欲しくないという気持ちが強いからこそ、妙にテンション高く、無意識だろうけどはじゃぐことで家の中の氣を高めてくれてる。

ハナは私の分身。診てもらえてよかったな、守ってあげような…と診察のときもずっと寄り添ってた。彼女が同じ仕草を見せたり、リピートしてくれることで正直私の氣は安らぐ。

今夜もアンジェと寝るだろう?と布団をリビングに下ろしてくれた夫。パワーあげるとユウタロウが静かに手当してくれた。ハナは力尽きて寝てた。

起こるすべてに意味がある。それを直視し、受け容れ、どんなときも自分に正直である私でありたい。
関わる相手に対しても然り。境界線ギリギリのところまでは私を突き通す。そこから先は相手が決めること。

今日参ってくれた友人。気持ちがアンジェだけに集中してて氣も使えず、リビングでゴロリ。そんな私を足揉みしてくれだした愛に癒された。どんな私でも受け止めてくれる世界が在る。それを実体験させてくれてるアンジェがいる。
今夜も私とアンジェだけで過ごす一夜。涙が止まらないのは悲しいからじゃない。またこうやっていっしょに寝られたこと。その背景には家族の理解があるからこそ。当時のままのアンジェが寄り添ってくれること。やっぱりどこまでいっても“愛”がある。



マヤ暦では昨日が大晦日のkin260

私のキンバースディでもあり、心に刻む一日だった。そして一夜明けた今日はkin1、新たなスタート。今日与えられてるお役目もまた私自身と向き合うのに最高の舞台。私がどんな行動と発言をするのか確と見届けてゆく。


アンジェの在り方に恥じないように。


アンジェに関わったすべての皆様へ

愛を捧いでくださりありがとう。
これからも変わらぬ愛と祈りを願います。

千恵子





たくさんのヘマもする

したいことしかしないから
できないことも山盛り

それでも私を貫き続けた一年
アンジェに恥じることはない

ワガママに生きてそれでも
もっとワガママに生きないと後押し

私が私らしくあるだけで
まわりはどんどん自立する

どんどんしあわせが連なる

あなたの死から自分が弱いことを受け止め
心は当時よりも強くなったな



おかげさまの毎日をありがとう🕊