今の仕事に就いて早半年が過ぎました。


がむしゃらに走り続けた半年でした。


数百もある製品を覚え、その製品の品質管理や、ゼネコンや企業様に毎日20件余りの承認願いを作成し提出する作業は気が遠くなる思いです。


営業マン30人余りを私一人で対応するのですから、ひっきりなしの電話での依頼や申請書の処理だけでもパニックになってしまいます。


出荷時に書類を持たせる物件があれば、それだけでも今の私には大変な作業で、時々逃げ出したくなるときもあるんですよね。



入社時は、「この年齢で正社員と採用されただけでも感謝!」と喜びと感謝に満ちて毎朝7時30分までに出勤することも苦にならず、仕事を覚えることが楽しくて、自分で努力して勝ち取ったのではない環境であることは十分わかっていました。


転職に強みのある特別な資格など十分持っていない私ですし、この年齢での正社員採用には誰が普通に考えても不利な状況でした。


だからこそ神様が働いてくださったとしか考えられない、完全に「与えられた」としか言いようのない仕事だったので、感謝は大きかったです。


でも、本当に人間の慣れというものは恐ろしく、悲しいものですね。


どうして初めに抱いた感謝を持ち続けることができないのでしょう。


残念です…。



仕事を覚え、ある程度こなすようになってきたら、自分の力量や能力に注目してしまい、「与えられた」という認識を、いつの間にかどこかに忘れてきてしまってるんですよね。


「してもらったこと」を忘れて、あたかも自分の力で得てきたような現在の自分がいて、ハタと立ち止まって振り返ってみたとき、「ここに至るまで、どの辺まで『神様から与えていただいた職場』と感謝の気持ちを持っていたんだろう…?


どの辺からその感謝を自分では気が付かないけれど、忘れてきたんだろう?


その境界線は何処から始まったんだろう?…」


と自己吟味すると、「なんて恩義のない事をしたんだろう…自分って本当に人として最低、最悪だな…」と思ってしまいます。



いけない…


いけない…


本当にいけないことです。


気が付いたら早めに軌道修正しなければ…



JWの中で生きて、失った十数年を取り戻そうと必死になってた部分もありました。


JWのように生活の現実を正しく見ることもせず、「楽園が来る」と、「明日はどうにかなるさ…」的な楽観視で、もう二度と失敗はしたくないという気持ちが強かっただけに、必死になりすぎていたところもあったと思います。


必死になりすぎると大切なものまで失って、神様を悲しませてしまうこともあるんですね。



正直、この会社で定年まで働けるとしても二十年もありません…

二十年なんて、アッという間に過ぎていきます。


「バリバリ働ける期間が私に残されているのは二十年もないんだ…」


「もっと働かなきゃ!」


「貯蓄もしっかりしなきゃ!」


「今の私は、幸いなことに健康の悩みや精神的悩みはない…お金の悩みだけ…


誰かが言ってた…『いろんな悩みの中で、一番いいのはお金の悩み、それは働けば解決できる事』と…」


いつの間にかそんな思考が半年間で膨れ上がって神様への感謝を追いやってしまったようでした。



頑張って努力することは大切ですが、周りが見えなくなる危険性も隣り合わせになることも注意が必要だったと思います。


ハッとさせられた部分はありますが、完全に不安が解消されたわけではありません。



軌道修正して、また思考を変化させ、気持ちを新たに前に進むのですが、本当にJW組織は何て罪深い組織なんだろう…と痛感します。


責任転嫁するつもりはありません…

私自身が好んで、納得して足を踏み入れた組織であり、私の意思で選択したのですから私の責任です。


今は、それを難儀して刈り取っている状態です。



ふと、考える時があるんですよ。


はっきり言って、やり直しにはかなりの精神力とエネルギーが必要な年齢です。


ただ、私の場合、まだ非JWの親に成人まで育てられてきたので、世から隔離されたJW二世とは違い、JW組織から離れたとしても世で生きていくベースは持っていたのでしょう、世で生きていくやり直しにかなりのエネルギーは必要とされましたけど、どうにか持ち直してきています。


それを考えると、私の元司会者は二人とも完全なJW二世で、幼い時からJW組織の思考で訓練されてきた姉妹です。

正直、彼女たちがこの組織の偽りを知ったとき、私と同世代の年齢ですから、世でのやり直しに私の何倍ものエネルギーを必要とするでしょうね。



あの組織を出て、偽りだときがついていないJW二世と、JW組織から出て、親が悲しんでいる事に心を痛め、挟間で揺れ動いている二世がいます。


彼女は組織が嫌で飛び出したのですが…


飛び出したというより排斥なのですが…


排斥後、親との交流は最小限に限定され、親元を離れ一人で生活しているのですが、やはり世での免疫がない状態で放り出された状態ですから、いろんな面で不安を抱え、途方にくれているようでした。


毎日泣いている親の夢を見るそうで、毎日親を悲しませていることを考えると涙するそうです。




かわいそうに…



世での生き方を手探りの状態で、自分の事を考えても不安で悲しいのに、親の悲しみを理解して親のために泣くなんて、本当に子どもは親をいつまでも思うものなんですね。


それに比べてJW現役の親は、排斥で組織を去ったわが子の事をどれほど思っているのだろうか…



彼女の話では、一番心に深い傷を負ったのは、組織を出るとき、親から「この親不孝者!組織に戻る意思がないなら、お願いだからあんた病気か事故で死んでちょうだい!

あんたが死んでも母さん悲しまないよ!

むしろハルマゲドン前に死んでくれたら復活があるから喜びだよ!

ハルマゲドンで直接エホバから滅ぼされた者は復活がないんだから、それこそ最大な親不孝だよ。

取り返しのつかない親不孝する前に戻ってくるか、ハルマゲドン前に死んでくれるかの、どちらかの選択しかあんたにはない事を常に覚えておきなさいよ!」と言われたそうです。



「親不孝」



なんて理不尽な言葉なんだろうと感じます。



「親不孝」「親不孝」と言いますが、じゃあ、逆に「子不幸」という言葉はないんですかね…


子どもって生まれた時から親不孝なんて子どもは世界中どこにもいないと思うんですよ。


子どもは生まれたときから親に喜びを与える存在だったはずです。


親に喜びを与えるなんて「生まれながらにして子どもは親孝行」なんですよね。


それなのに、なぜ親を悲しませてしまう「親不幸」に変えてしまうのでしょう…


世の中先に原因があって結果が生じるという法則から考えると、親が子どもを悲しませ、不幸にする行為が先にあるからではないでしょうか。


特にJWの親の子供に対する無理解やJW思考による理不尽な行い、矛盾の上でのしつけにより子どもの精神の混乱、虐待とも言えるほどの懲らしめ…数え上げればきりがありません。


それこそ「子不幸」が原因で心に傷を負い、苦しんでいるJW二世は彼女だけではないはずです。


子どもは親に認められたい、愛されたい、必要とされたい、喜んでもらいたいと一生懸命になります。


だからいつも親の表情には敏感なのです。


親の心の状態をいつも察知して、その親の思いにそえるように行動しよう、振舞おうとするのです。


子どもは、どんなに親から虐待を受けても親を恨むことをせず、常に親を求め、慕い、「怒られるのは自分が悪いからなんだ」「私が悪い子だからお母さんに嫌われるんだ」と自分を責めます。


だから…


だからこそ子どもが「親不孝」なんて言葉は最初は存在しないんです。



じゃあ、なぜ子どもが「親不孝」になってしまうのか…



それは、親の心を喜ばせよう、こたえようとしても、親に認められもせず、喜んでももらえず、親から自分は愛されているということを子どもに感じさせ、安心させてあげることを今まで親がしてこなかったからではないでしょうか…


それをJWの親は自分のしてきたことを取り上げもせず、自分がしてきたことを「子不幸」だとは思っていないからでしょうね。

もちろん、気づいていなくて、組織の教育こそ正しいと思い込んでいるので自分が子どもに何をしているのか見えないのでしょう。


そんなことが幾重にも積み重なり、いつしか子どもは悲しむ親にとって「親不孝」になるのでしょう。



彼女は健気に世で頑張って一人で生きてます。


JWの親からすれば彼女の苦しみや苦労は理解できないでしょう。

エホバから離れた報いだとしか思わないかもしれませんね。



今の私からすると、彼女のほうが人生取戻していると思います。


人生取り戻すには早いにこしたことはありません。


騙されたままJW組織で年を取ると、本当に取り返しがつかないのですから。


彼女は今は苦しいかもしれないけど、組織を出ただけでも組織に残っているJW二世より可能性は確実にあります。




いつか彼女に会う機会があれば、抱きしめて言ってあげたい。



あなたは決して親不孝なんかじゃないよ…と