この時期になると、大型スーパーマーケットなどで見かけるのは春の新入学一年生のランドセルや勉強机のコーナーなどがあります。


特に新しいランドセルを見ると、どうしても思い出す話があります。



JW研究生の頃、引っ越しのたびに会衆が変わり、司会者も変わるのですが、その時の司会者は私と同じ年で開拓者。

親元を離れ同じ開拓者の姉妹とパートナー生活をしていました。


「ものみの塔沖縄支部」が開設されてまだJWも地元では少ない頃に、彼女のお母様はJWと聖書を学んで地元では、かなり古い姉妹として名前も通っていました。


彼女には妹と弟がおり、兄弟姉妹とも献身したエホバの証人でした。

お父様は未信者で反対者。


このお父様の反対が、当時の私には「サタン」としか考えられないような反対の仕方で、彼女の経験を聞くたびに「こんなに迫害にも耐えて、それでも開拓をとらえているなんて、本当に信仰のある素晴らしい司会者、また兄弟姉妹たちだな」と感動したものでした。


彼女は幼い頃から弟や一番末の小さな妹の面倒をみながら母親と集会に通い始めるのですが、未信者のお父様の迫害はその頃からあったのでしょう。



今となれば、お父様の反対は当然だと思います。

当時の沖縄は決して裕福な県ではなかったですし、街灯もなく、主婦が車を所有している家庭も殆どない時代に、主婦が幼い我が子を数人連れて夜遅く暗い夜道を集会から歩いて帰宅したりすると、近所の方の目もありますし、一家の主人として黙っていられなかったでしょうね。


お父様はお父様なりの考えで、いろいろ反対の仕方を強行突破するのですが、人の心理はみなそうですが、反対されれば反対されるほど、逆に強く立つという心理が働くんですよね。


たとえば恋愛などもそうじゃないですか。

親から反対されれば反対されるほど二人の感情はより一層燃え上がり強く結ばれるので逆効果だと…。

だから二人を別れさせたかったら、周りは反対を強くしないほうがいい…と、駆け落ちを経験した私の叔母が話していまいた。(笑)



彼女のお父様の反対というのは、まず経済的な面から家族を困らせました。

光熱費などはお父様が支払うのですが、家庭に食費以外給料を入れなくなりました。


子どもの学校の給食費や学級費なども収めることができず、お母さん姉妹が内職で得た小銭を集めては収めていたようです。


お父様としては、経済的に困窮させると簡単にエホバに対する家族の信仰を覆すことができるというお考えだったのでしょうね。

ところがこの母子たちの結束は固く、子どもたちは苦労している母親に、一層強くついていくようになりました。



今度はお父様の体罰が始まったようで、集会に行くたびに必ず太い棒で足を叩かれたそうです。


お父様は、「足があるから集会や伝道に行くんだ!この足が歩けなくなればいいんだ!」と言いながら何度も叩いたそうです。


青アザのできた痛い足を引きずりながら集会に泣きながら行ったそうですが、そこで会衆の姉妹達が言うんですよね…。



「Kちゃん、あなたのお父さんがしていることは、お父さんがしているんじゃないのよ!『サタン』がお父さんを使ってKちゃんたち家族の信仰をエホバから引き離そうとしているの。

だからお父さんを憎んじゃダメ!あれはお父さんじゃなく、サタンが入っているの。

お父さんから迫害受けているときは、サタンからお父さんを守って下さいって必死に祈るのよ!」と、お決まりのセリフで励ますんですよね。



激しい迫害を未信者の父親から受けている子どもにしたら、集会での兄弟姉妹の優しい一言や励ましは迫害を経験していない子どもより大きく心に響きますし、「ここだけが私を受け入れてくれるんだ」「ここは霊的パラダイスだから、エホバの民だから愛があるんだ」と、目に見える兄弟姉妹の情愛に惹かれ、兄弟姉妹を信頼し、間違った場所に一層堅くとどまってしまうことになるんですよね。




お父様の迫害はそれだけでなく、時には夜、集会から帰ると家の鍵がかかっていて家の中に入れず、外は雨が降っているので近所の人の目を避けるように、裏庭にまわって家の縁側で母子5人で夜を明かし、お父様が朝出勤するために玄関が開いたと同時に子どもたちがダッシュで家の中に入り、学校の鞄をとってそのまま登校したことも何度もあったそうです。


まだ家の敷地内に入れるならいいのですが、時には門が閉まって家の敷地に入れないときは、母子だけで近くの霊園で身を寄せたこともあったとのことでした。



地元の人がこの話を聞くと驚くことなんです。



沖縄のあの地域はハブが多く、昼間でもハブが道をクネクネ歩いているのを見かけますし、涼しい家の軒下でトグロを巻いている事がよくありました。


そんな地域の石垣に囲まれ雑草の生い茂った霊園なんて、ハブの格好の住かです。


でも、彼女たちはその出来事を「あんなにハブの多い霊園でも、私たち親子はハブにも噛まれず、守られ、エホバの保護をより感じることができ、エホバへの信仰が強まった。」と感謝して話すんですよね。


お父様の反対が強ければ強いほど、会衆の兄弟姉妹たちの応援、励ましは半端じゃなくなります。

これがまた純粋な子どもたちの胸に深く刻まれ、会衆の兄弟姉妹への「情」が強くなっていくのでしょう。


当時の沖縄の姉妹たちは、本当に「情」がありました。

沖縄県民独特の「ゆいまーる(結び、助け合い)」精神を誰もが持っていたと思います。



彼女たちが父親から受けている迫害は地元のJWなら誰でも知っていました。


沖縄全島に知れたのは、お母さん姉妹が大会で、夫からの迫害に親子で耐え、エホバへの信仰を捨てずに子どもたちと欠かさず集会、奉仕に参加していると経験を話された時でしょう。



僅かな食費しか給料を入れてくれない未信者のご主人さんからの度重なる迫害は、経済的な弾圧だけでなく子どもたちへの体罰も加わります…


それだけでなく、末の娘が小学校に入学するというのに「ランドセル」を買うお金もなく、買ってもらえず、それを知った会衆の兄弟がパートで働いていた小さな鞄店の店主に頼んで、十年近く前に売れ残って倉庫にホコリまみれになったランドセルをタダで貰ってきてくれたそうです。


無事に入学式を迎えるのですが、周りの子供たちはピカピカなランドセルを誇らしげに背負っているのに、末の子のランドセルは、十数年前の売れ残りで保存状態も悪かったため、すでに劣化も激しく、エナメルの艶もなくヒビ割れて、形も変形していたランドセルは、かなり人目を集めたそうです。


それでも愛する仲間の兄弟が、自分の為にランドセルを調達してくれたと「兄弟の愛」「エホバの愛」と感謝している末の娘は、周りの子どもたちから笑われながらも小学校4年生までは劣化の激しいランドセルを背負って通学したと話していました。


もちろん卒業まで背負うつもりだったようですが、ランドセルの耐久が彼女の卒業までもたず、ついにショルダーが切れてしまったそうです。


彼女は仕方なくお手製の手提げバックに教科書などを入れて登校するのですが、彼女は以前から背筋が少し曲がっていて、ある日、担任の先生が学級時間に彼女を突然みんなの前に出させて、「みんな、見てみろ!こんなに背中が曲がっているのはどうしてか分かるか?ランドセルを背負わず、手提げ袋にしているからだ!」と、いかにランドセルを背負うことが正しい姿勢を保つことに大切であるかと、子どもたちに説明したそうです。


彼女だってランドセルをずっと背負いたかったはずなのですが、背負えない理由があるのに、先生はそれを知りません。



それでも彼女は先生に反論することもせず、泣きもせず、先生を憎むこともせず、クラスの模範となるような生徒として学校生活を送っているという経験をお母さん姉妹が大会で話したんですよね。


確かに本当の話なので、そんな経験をしながらも、親子で頑張っているという姿は沖縄全島のJWの心を動かします。


大会午前の部が終了して、お昼時間、会場を出て多くのJWが外でお弁当を食べているところに、お母さん姉妹の経験を聞いていた一人の特別開拓者の兄弟が、「姉妹、兄弟、午前の部で経験を話された未信者のご主人さんから迫害を受けている姉妹のこと、ご存じですか?姉妹たちのために、少しでも援助して頂けませんか?」と、一人一人に声を掛け、その日、有志を募ったお金を、会衆の長老を通して、お母さん姉妹に手渡されたそうです。



また、私の司会者は、やはりJWですから進学を希望せずに商業高校に進むのですが、学校での成績もよかったため、先生から地元の銀行へ就職するように推薦の話があったのですが、彼女は「卒業後は開拓者」という意志が強く、就職を希望しませんでした。


それに激怒した未信者のお父様は、「卒業後お前が銀行に勤めるだろうと思い、車の免許を取らせようと教習所に支払うお金も準備してたのに、お前が開拓伝道するなら教習所に通う金は出さん!」と、彼女の免許取得の道は途絶えたようでした。



父親にお願いするなら、必ず条件付きで「金を出すからエホバを辞めろ」と言われるらしく、エホバへの信仰を捨てきれない彼女は、「教習所には通わない」と結論しました。



しかし、それを知った会衆の一人の姉妹が「Kちゃん、私が教習所に通うためのお金を全額出すから、必ず車の免許取って!そうじゃないと会衆の兄弟姉妹たちに負担がかかるの!」と言われたそうです。


実は、車の免許を持っていないお母さん姉妹は、子どもたちを連れて大会会場に行くために、会衆の姉妹達の車に乗せてもらっていました。


天候の悪いときや、集会に行くとき、奉仕に出かけるときなどは、会衆の兄弟姉妹たちが、お母さん姉妹と子どもたち4人、計5人を数台の車で割り振りして乗せていたので、確かに負担は大きかったと思います。


もちろん車の援助をしてくれる兄弟姉妹が「面倒だ!」という気持ちはないのでしょうけれど、「教習所に通うお金を出すから」と言われると、遠慮して断られると思い、断られないように「あなたが免許を取らないと、ずっと会衆の兄弟姉妹に負担がかかるの」と言ったのでしょう。


貸したお金は、働いて少しつづ無理しないで返済してくれればいい、ということで、そのお金で彼女は教習所に通い、免許を取得して、廃車に近い車を貰って、自分の運転する車にお母さん、妹、弟たちを乗せて大会へ行った感動は、今でも忘れないと話していました。



彼女たちは、本当に幼いころから会衆の仲間の兄弟姉妹たちから、いろんな面で支えられてきました。


だから、妹や弟たちと集まって、幼かった頃の辛かった経験を話すときは、必ず「あの時は、あの兄弟から助けてもらったね」「あの時、あの姉妹から、これだけ援助してもらったね」「こんなこともしてもらったね。」「あんなこともしてもらったね。」と仲間の兄弟姉妹がしてくれた事を話すそうですが、最後に、この4人の兄弟姉妹が決まって同意して締めくくる言葉があるんですよね…。



それは次のような言葉です。



「だから私たちは今後、どんなことがあっても組織から離れたらいけないんだよ。

私たちが組織から離れたら、一番悲しむのは会衆の兄弟姉妹なんだよ。

あんなに私たちのことをしてくれた兄弟姉妹を悲しませるような不義理をするという事は、最大の罪だよね。」


「その兄弟姉妹達が何十年と私たちにしてくれたことを、決して無駄にしないように、裏切らないように、私たちは固く組織に留まろうね」と強く確認し合うそうです。




そうなってしまうんですよね…。



目に見える仲間からの援助、支えが強いと信仰より仲間に対する「情」が強くなり、どうしても「人」との「絆」が強くなるんですよね。


本当に唯一の神への信仰があれば、どんなに自分を温かく受け入れてくれた仲間がいたとしても、そこが偽りであるなら、仲間の「絆」より神への信仰を優先すると思うのですけどね。


たとえば、自分を温かく受け入れてくれていた仲間がいる組織が、実は多くの人の心理を誘惑し、人々の貯蓄や人生や生き方まで奪ってしまう「ペーパー商法」のような悪徳商法組織だったとしたら、どんなにそこで友情や仲間の絆が深まったとしても、自分のいた組織が間違っていたとしたら、そこを離れるのが良心ではないでしょうか。


それでも留まるのなら、良心よりも「絆」を優先したことになるのです。


「人には、誰でも神から付与されている良心というものがあります」と、よく言われるのにね。


絆を大切にするなら、何が正しいのかもよりも、善悪よりも、絆、人とのつながりを優先させるのですね。



仲間との「絆」は決して神への「信仰」と混同してはいけないと思います。



信仰は、仲間との絆より強いものであるはずなんですけどね。



でも、あのJW組織では信仰より仲間との絆が強いというのは分かります。


だって、神がいないんですから、必然的に仲間との絆が強くなるのは当然なんですよね。


エホバとの絆が深くなるよりも、仲間との絆が深くなるということは、「エホバは存在しない」からなんですよね。