昨日はクリスマス・イブのため、街の商店街ではクリスマスケーキを買い求める人達で一層にぎわっていました。


今日はクリスマスですね。


こちらはホワイトクリスマスとなりました。


みなさんはどのようにクリスマスを過ごされるのでしょうか。





1988年12月25日、E子さんはまだ生きていましたが、E子さんの存在、状況を知らない世の中の多くの人達は、今日のように家族、恋人でクリスマスを楽しく過ごす予定をしていたのでしょうね。


そのような人達とは反対に、1988年12月25日は、E子さんにとって生き地獄のクリスマスであり、彼女の人生最後のクリスマスでした。



彼女がどのようなリンチを受けていたのか、お調べになった方ならお分かりだと思います。



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■何昼夜にもわたり、主犯数人が入れ替わり立ち代わり強姦し続ける

■主犯の少年たちに「今、家に面白いのがいるから犯らせてやる」と言われ、20人前後の高校生が強姦に参加する(被害者死亡のため立憲不能で逮捕されず)

■数日に一回程度の食事しか与えられない

■自慰行為をして見せるように強制され、嘲れる

■真冬の極寒の中、裸でベランダに出されて踊らされる

■きちがいの物まねをさせられる

■膣を灰皿に代わりにされ、煙草の火を押し付けられる

■手足を押さえつけられて膣やお尻の穴に鉄の棒を突っ込まれ、内部でかき回される

■肛門にロケット花火の「火薬部分」を入れて爆発させる

■20キロの鉄アレイを身体(裸体)になんども落とされる

■まぶたに溶けた蝋をたらされ、やがてエスカレートして顔面全体を蝋で固められ、眼球の上に蝋燭を立てられる

■小泉今日子の「なんてったってアイドル」という歌を部屋のラジカセで流し、それに合わせて踊らされ、歌詞の中の「Hey!」という掛け声に合わせて蹴りを入れられる

■両親に「私は今家出しているから、警察に捜索願を出さないで」と少女から電話することを強制される

■手足を押さえつけて膣内にマッチ棒を入れられ燃やされる

■膣の中や体にオイルをたらし、火をつける、のたうち回る少女を押さえつけ、それを繰りかえす、火傷が化膿し、それ以降立つこともできなくなる

■数日ぶりに与えられたコンビニ弁当を食べようとするが、もはや内臓が機能しておらず、吐き出してしまい、床を汚されて怒り狂った少年たちに押さえつけられ、力任せに殴られ続け、前歯が全て折れて吹き飛ぶ

■仲間内から集めた精液、尿を大量に飲まされる

■人間の大便を食べさせられる

■生きたゴキブリを食べさせられる

■両方の頬骨が折れて鼻よりも高く腫れ上がり、人間の顔ではなくなった少女を見て「でけー顔になったなぁ」と嘲笑する


・これらの暴行中、少女は人間とは思えないような絶叫を上げ続けた

・打撲、火傷、裂傷が化膿し、やがて腐敗して悪臭を放つようになると少女は犯人たちの強姦対象ですらなくなり、単に暴行してストレスを解消する道具になる

・暴行に飽きた主犯Aが「こいつ家に帰そう」と提案、しかし「このまま帰したら、警察に通報されますよ」と反対され監禁が続く


■主犯の男が仲間の賭けマージャンで負けた憂さ晴らしに2時間に渡り大勢で少女をサンドバックのようにして殴る、蹴る


・完全に動かなくなった少女を放置し、少年達は疲れてサウナに出かけたあと、遂に少女は死亡した

少女の最後の言葉は「助けて」ではなく「殺して」であった


□ 発見された遺体は、発見日が早かったためか腐敗してはいなかったが、司法解剖された少女の脳は何故か溶けかけていた。ごく稀な現象だが「自死」、つまりあまりの辛さに耐え切れず、脳自身が死ぬことを選択・命令する現象である

□少女の顔面は原型を留めないほどに破壊されていた


・顔は目鼻口の位置が判りにくいほど腫れて膨れ上がり

・頬骨、アゴの骨が砕け

・数知れない殴打で両眼の位置がズレており

・歯の半分近くがへし折れ

・ストレスで髪の毛のほとんどが抜け落ち、親でも判別ができないというより「人間の顔をしていない」という状態であった


□ 性器、肛門はもっとひどく、文字通り完全に破壊され尽くしていた


・膣、肛門ともに引き裂け、火傷し、他の部分より腐敗が進み、生きていた時から腐敗し始めていたと推測された

・膣内にはオロナミンCの瓶が「2本」入っていた


□ 現場検証の際、床、壁のみならず、天井にまで血が飛び散っており、科捜研の刑事は「天井にまで飛び散る事など、通常の暴行では起こり得ない」と首をひねった


□ 逮捕された主犯の一人は、接見した弁護士に対して「遊んでやったんだからいいじゃないか」とふてくされた

□ 主犯の家族のうち二家族は慰謝料支払いから逃れるために家屋・預金を親族名義に変更した

□ 少女の母親は、娘が受けた暴行の内容を知って絶叫、発狂しかけ、精神科医に連れて行かれる

□ 主犯の内一人は出所後、結婚して子どもをつくり、インタビューに対して「あれはもう済んだことだ」と発言する


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少年たちの凶悪犯罪によって殺されたE子さんの味わった屈辱、苦しみ、恐怖は、どんなに詳細に記録された彼らの供述、裁判記録を読んだとしても、限られた経験や知識の範囲でしか想像できない私たちには、実際の現場で行われた凄まじい残酷な状況は、決して完全に想像、理解できないと思います。


もし、私が被害者のE子さんが実際に味わった恐怖を完璧に想像できるなら、想像しただけでも精神状態が正常でいられなくなると思います。


実際に経験していない、また実際にその現場を詳細に見ていない人には、物事を正しくジャッジできないという限界があります。


だから人間の限られた知識や過去の事例などからジャッジするのしかないので、どうしても偏りが生じても仕方のないことなのでしょう。


少しでも偏りが出てしまうというのは、本当の意味で公正ではありません。


確かに裁判に携わる方々は、公正な判決を下すために最善の努力をなさっていると思いますが、その反面、人間の判断の限界なども感じておられると思います。


多くの方も、法に則り、人が下す判決に心から納得し、受け入れることができたことは少ないように感じる場合もあるのではないでしょうか。


私、個人の意見として、「本当にこのような犯人たちが今でもどこかで生きて生活していることは許されることなのだろうか…?」と思いますし、「本当にこのような犯人たちが、今後、事故や病気、または老衰で死んだとしても、死んだ後は彼らは消えて無くなり、彼らの犯した罪も永遠に彼らとともに消えて無くなるのだろうか…?」と思うと、どうしても腑に落ちません。



神の公正さ、正しさに照らし合わせると、私の中でどうしても矛盾が生じてしまいます。



本当にエホバの証人の教理である「人の死後は無意識、無存在」であり、凶悪犯などが死んだ場合、エホバから復活を許されず永遠に消えて無くなる…というだけなのでしょうか?


私がJW現役の頃は、「ヒットラーは復活するか、復活しないか」という議論が持ち上がり、組織の発行した資料から、「復活しない」と読み取られる箇所があり、教えられたことがあります。


あれほどの大量殺戮した主犯格のヒットラーも最後は群衆からのリンチや裁判による死刑判決を恐れたのか、自殺しています。

彼も死んだ後、誰にも危害も加えられず、復讐もされず、殺された人々と同じような「殺される」という恐怖も経験せず、自殺した後は無意識になり、無存在になってしまうのでしょうか…。



そうであるなら、どんなに残虐に人を殺したって、犯罪者はその後死んだほうが「楽」ですし、死んだほうが「得」ということになってしまいます。



こういった犯罪を見聞きしてもなお、エホバの証人は「死んだ後、無存在になり、罪人が永遠に苦しむような地獄はない」と主張できるのでしょうか。




今の私は決してそうは思いません。




残虐な女子高生コンクリート詰め殺人事件だけを見てもそうですが、人はこの世で多くの不正を働きます。


ですから、それらが正されるために、死後の世界がなければならないと思います。


さもなければ、神は正しいお方ではなくなってしまうと思うのではないでしょうか。



この世の裁判では、無実の人に不当な判決が下ったり、罪を犯した者が当然の処罰を免れたりしています。


多くの過程で、子どもたちや立場の弱い人たちが虐げられています。



彼らは「全地をさばく者は公義を行うべきではありませんか」創世記18:25と、正しいさばきを求めて叫んでいます。



恐ろしい犯罪を犯しても、誰にも知られず、暴かれず、墓場まで持っていった犯罪者だって多くいるはずです。


自分が犯した犯罪も、時効になり、市民として普通に生活している人もいるのではないでしょうか。


自分がしたことの当然の報いを免れる者たちは、永遠にそれを免れるのでしょうか。





いいえ。





「まちがってはいけない、神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる。」ガラテヤ6:7




人は自分がまいたものを必ず刈り取るのです。



この世でそれを刈り取らなければ、復活のからだを持って、「あの世」でそれを刈り取ることになります。



この世が不公平であれば、「あの世」に公平が求められるのも当然です。



この世には多くの苦しみや悲しみがありますが、その多くは本人の責任と無関係なものがあります。



愛する子どもや家族に、信頼する人に、人生そのものに失望することも多いのです。


ですから、もし死後の世界がなければ、地上のわずかな年月は生きるに値しないものです。



もし死ですべてが終わるなら、耐えがたい苦痛や貧苦を経験している人は、早く自殺をして楽になったほうがよいということになります。


もし死ですべてが終わるなら、このような犯罪を犯した犯人たちも「死刑」になったら一瞬のうちに消えて、犯人は苦しみながら、恐怖を味わいながら死んでいった被害者の苦しみより「楽」に死んだということになります。


そして、死んだ後は、犯人も被害者も、無意識無存在、同じ状態になってしまうということになります。



それって、絶対に不公正だと思いませんか?



この女子高生E子さんを殺害した犯人たちも、今では出所して普通に生活し、他の善良な市民と同じように、数十年後は人生の終焉を迎え、死後無意識の状態が永遠に続くなら、神が「その罪は必ず身に及ぶことを知らなければならない」民数記32:23と言ったことは嘘になります。



この民数記のことばは、神のことばであるだけでなく、人の理性の言葉でもあります。


この世では隠し通せた罪も「あの世」では明らかにされるのです。


この世では免れた罪も、「あの世」では決して免れないのです。


私は、永遠の苦しみである「地獄」は神の公正、義からしても、地獄は存在して当然だと思います。