昭和が終わった年に、当時の上司から勧められて購入した昭和元年から昭和天皇崩御の年まで某新聞社が発行した新聞記事が一冊の本にまとめられた分厚い冊子を久しぶりに開いてみたことがあります。


安月給の私にとって、かなり大きな出費でしたが、当時の上司は新聞記者の経験もあり「とても貴重な資料だし、必ず役にたつときがあるから、無理してでも購入したほうがいいよ」と強く勧めました。


それから数十年経って、確かに役にたった事が何度かありました。


JW現役時代に組織から、「ものみの塔日本支部の最初の『背教者』」と言われ、信じ込まされていた「明石順三」氏が、実際は組織の証言と全く違っていた人物であることが、当時逮捕され取り調べを受け、裁判で明石氏が証言した詳細な記録と明石氏の顔写真が新聞記事に掲載されていて、ものみの塔組織が明石氏の信仰を偽って証言し、多くの現役の信者を洗脳していることが、実際に明石氏を取り調べ、拘置所での明石氏の姿勢、態度を見てきた人の証言などから理解でき、衝撃を受けました。


それから徹底的に明石氏の真実を調べるためにいろんな資料、情報を集め、真実を知る事で、いかに「ものみの塔」組織が腐っているかが私の中で明らかになり「こんな組織を真実の神が用いているはずがない、また、組織が悔い改めるための機会を忍耐して待っておられるはずがない」と確信しました。


聖書の真実の神は、最初から「ものみの塔」組織をご自分が選んだ組織として用いておられなかったのです。

「ものみの塔」組織は、サタンが神として用いている組織であることが、聖書を正しく調べていくと理解できました。


明石順三氏の事実を数年前に知って、この冊子を購入してよかったと感じたこともありましたが、日本で起きた様々な凶悪犯罪の記録を知ることで、法の裁きや、また、組織が教え、信じ込ませている教理、本当に地獄は無いのだろうか…?との疑問も持ったことがあります。



みなさんは覚えておられるでしょうか…?


日本少年犯罪史上、最悪と言われた事件があります。


1988年(昭和63年)11月、不良少年ら数人により、アルバイト先から帰宅途中の高校3年生の女子が誘拐されました。


41日間にも及ぶ監禁の間、少女に対し執拗、冷酷、残虐極まりない暴行、凌辱の限りを尽くした上に殺害し、少女の遺体をコンクリート詰めにして捨てるという、日本の少年犯罪史上において希にみる凶悪な犯罪、事件です。




これが世に言う「女子高生コンクリート詰め殺人事件」です。




そのあまりの酷さは、裁判の判決の要旨を見てもらえば分ると思います。


※この事件に関する様々な情報をより集めてまとめましたが、かなり表現に残酷な箇所もあり、読み進める事に不快感を感じる場合もありますのでご了承ください。


判決要旨の一部

当時高校3年生として、就職も決まり夢ふくらませていた被害者は、それまでの生活とは打って変わった屈辱的な取り扱いを受け、40日間にもわたる期間、孤立無援の状態のまま、繰り返し陰湿・過激ないじめを受け、監禁の後半には、精神的にも、肉体的にも衰弱の度合いを深め、最後には常識では考えられないような仕打ちまで受け入れざるをえず、助けを求めるすべもないまま、あえなく絶命し、揚げ句はコンクリート詰めにされて捨てられるなど、その身体的及び精神的苦痛・苦悶、並びに被告人らへの恨みの深さはいかばかりのものであったか、誠に、これを表現する言葉さえないくらいである。


ことの発端は、1989年1月、少年2人が強姦と窃盗容疑で綾瀬署に逮捕された。

家裁審理中、少年たちは鑑別所に収監されていたが、彼らの家を警察が家宅捜査すると女性の下着などが見つかったので、「お前、人を殺しちゃダメじゃないか」と警察が余罪について軽くカマをかけたところ、少年は


「すいません、殺しました」と言った。


驚いたのは警察の方だった。


少年の自白に従って江東区の埋立地で死体の入ったドラム缶が発見される。


被害者の少女の死体はボストンバッグに詰められ、コンクリートを流しこまれて固められていた。


死体はすでに腐敗しており顔の見分けもつかなくなっていたが、ひどく痩せこけて皮下脂肪が半分近くにまで減っており、頭髪がほとんどなかった。


これは長期間なぶられ続けたストレスにより抜け落ちたものであろうと思われた。



膣には小瓶2本(オロナミンC)が押しこまれたままだったという。



被害者の少女は捜索願いの出ていた高校3年生のE子さんであった。


就職先も決まっており、最後の学生生活を楽しんでいた矢先であった。


1988年(昭和63年)11月25日、アルバイト先から自転車に乗って帰宅する途中だった県立高校3年生のE子(17歳)は、突然、バイクに乗った見知らぬ少年から蹴り飛ばされた。

このとき蹴り飛ばした少年がCである。


バランスを失い、自転車に乗ったまま転倒したE子は、そのまま側溝に落ちた。

そこへ、別の少年Aが近づき「大丈夫ですか」と声をかけ、助け起こすと「あいつは気違いだ。俺も脅された。危ないから送っていってやるよ」と言って、近くにある倉庫の暗がりで「俺はヤクザの幹部だ。お前はヤクザから狙われている。セックスさせれば許してやる」と脅し、ホテルに連れ込んで強姦した。


Aは自宅に戻っていたCに電話をかけると、そこにはBの他にDがいたが、Aはこの3人を外に呼び出した。

その後、4人の少年たちは東京都足立区綾瀬のCの自宅の2階のたまり場にE子さんを連れ込んだ。


少年らはE子を輪姦した。


E子さんは必死の思いで抵抗したが、寝具などで顔面を押さえつけられたため叫び声を上げることはできなかった。

さらにAらは、陰毛の一部をカミソリで剃り、嫌がるE子の性器にマッチ棒を差し込み、火をつけ、熱がるE子を見て興じていた。

11月30日午後9時ころ、監禁場所のC宅のCの母親は、このとき初めてE子の顔を見ている。

Cに対し「早く帰しなさい」と言った。

だが、1週間経ってもE子がいることに気づき、直接、E子に「すぐに帰りなさい」とは言ってみるもののなかなか帰ってくれなかった。



これに関してCの母親は裁判で、

「あの子には家に帰るようすすめました。でもあの子が『いいです』と言ったんです」と証言し、

「脅されていたんでしょう」と検事が突っ込むと、


「認識の違いで、申し訳ありません」


と答えたり、さしたる脈絡もなく「あの女の子は煙草を吸っていた」などと言ったことがマスコミに批判された。

のちにCの両親は批判的な報道に怒り、弁護士を通じて抗議している。


また、この頃、E子に自宅へ電話をかけさせ「家出しているのだから、私の捜索願いは取り消して欲しい」と言わせている。それも、一度きりでなく、5日ごとに3回に渡って電話をかけさせており、E子の親は家出だと思っていたという。

その後、昼夜の別なく、E子の体を弄び、そのあまりの暴行に、E子が気を失うと、バケツの水に頭を漬けて気を取り戻させて、またレイプということを繰り返していた。

その間、交代で見張りを続けた。

12月初めの午後4時ころ、、E子は少年たちが夜遊びで昼寝をしていた隙を見て、2階から1階の居間に降りてきて110番に電話した。

だが、運悪く、近くで寝ていたAに気づかれてしまった。

すぐに逆探知で警察からかかってきた電話に、Aが出て「なんでもない。間違いです」と返事した。

AとBは、このことをきっかけとして、E子に対し、手荒いリンチを加えた。殴ったり、蹴ったり、手足の甲にライターの火を押し付けたりして火傷を負わせた。

また、シンナーを吸わせたり、ウィスキーや焼酎を飲ませて楽しんでいた。

Aは武田鉄矢の『声援』という歌に「がんばれ、がんばれ」という歌詞があって、いじめているときにそれを歌いながらE子に対し「お前も歌え」と言って歌わせた。


自分たちが何もしていないときにもE子は小さな声で「がんばれ、がんばれ」と自分に言い聞かせているときがあった。



12月5日、東京の中野駅構内で、電車の追突事故が起きた。

AはE子に「あの電車にお前の父親、乗っかっていて、死んだってテレビでやってた。お前見たか」とからかった。

E子は不安そうな表情を見せると「どんな気分だい」と訊き、「悲しいです」と答えると「実はウソだよ」と言ってはぐらかした。


こんな調子でAとB、Cの3人は「死んだ」「生きている」を何度も繰り返し、心理的にE子を追い詰めていった。


12月10日ころ、E子は「家に帰りたい」と言い始めた。

すると、Aが「家に帰ったら母親に何て言うんだよ」と言うと、E子は「今まで新宿で遊んでいました」と答えた。

それに対し、Aは「新宿で、学生服のままそんなに長く遊んでいられるかよ」と言って、殴ったり蹴ったりの暴行を加えた。

さらに、火傷の跡にライターのジッポオイルをかけ火をつけた。熱がって火を消そうとするのが面白いと何度も繰り返した。



12月中旬、小便で布団が濡れたことを理由にBとCが殴った。

果てしなく続く殴打によってE子の顔面が無惨に腫れあがり、凸凹のない別人の顔になった。



「なんだお前、でけえ顔になったなあ」

少年らは笑いあった。



暴行がエスカレートするのにともない、E子に与えられる食べ物もおざなりになっていった。

それは主にCの兄の役目であったが、監禁当初は出前を取ることもあったのに、12月末には、1日に牛乳を1本、たまにパン1枚与える程度になっていった。

トイレにも行かせず、飲料用紙コップに排尿させられるようになり、その尿を飲まされたりした。



E子は「なんでもするから家に帰して」と必死に哀願するが、全裸で踊らされたり、自慰を強要され、さらに、直径3センチの鉄棒や「オロナミンC」のビンを陰部に挿入させられた。


Cの両親は異常な気配に気づいていた。


両親はそれ以上追及すると、開き直られるのを恐れて、2階の物音には耳を塞いでいた。

E子はリンチによる足の火傷が化膿して動けなくなった。

全身は衰弱し、悪臭もひどくなった。Aはその臭いが嫌だと言って、寄りつかなくなった。


少年たちはそんな状態になったE子を見て、持て余すようになっていた。

だが、解放すると警察に知らされる。いっそのこと、死んでくれればと願うようになる。



1989年1月4日、監禁から41日目のこの日、午前6時半ころ、Aは徹夜マージャンで10万円ほど負けムシャクチャしていた。その腹いせとしてAはE子をその対象にした。


B、C、Dの3人はE子の火傷の臭いを嫌ってDの自宅でファミコンをしていた。

AはDの自宅に立ち寄り、3人を誘って、Cの自宅の2階に上がった。

小泉今日子の「なんてったってアイドル」のテープをかけ、歌詞の中の「イエーイ」に合わせてE子の脇腹に思いっきり殴打する。



E子は、声を出すと殴られるため、痛みをこらえて顔を歪めた。

その表情を見て少年達は面白がった。

ロウソクに火がつけられ、E子の顔にそのロウを垂らし、顔はロウだらけになった。

Dは自分の手に血がつくのを嫌がり、ビニール袋(Aがシンナーを吸ったとき使用した袋)を手に巻き、E子の肩や足にパンチを浴びせた。

やがて、E子は身体を硬直し、ブルブルと痙攣し始めた。

Aは1.7キロもある鉄球付きの鉄棒を持ち出すと、DはE子の腹に落とした。

Aが暴力を振るうと、今度はB、C、Dが「ウケ」を狙って、面白半分に暴力をエスカレートさせた。



Aはリンチの途中でE子の死を意識した。





午前10時ころ、リンチが終わった。

AはE子が逃げないように足をガムテープでぐるぐる巻きにすると、4人はサウナに出掛けた。




E子死亡。



翌5日朝、死体の処理に困った少年たちは、死体を毛布に包み、旅行鞄に入れて車に乗せ、近くの工場から盗んだドラム缶に鞄ごと入れてセメントを流し込んだ。セメントは、Aが以前、タイル工として働いていた店に電話をかけて、セメントと砂利を調達して作ったものだった。

そのとき雇主は、「お前人を殺したな」と確信をもって詰寄っている。しかし、警察には通報していない。



午前8時ころ、ドラム缶を海に投棄しようと江東区若洲15号地若洲海浜公園整備工場現場空き地まで車を走らせたが、恐くなってしまい、その空き地にドラム缶を投げ出して帰ってしまった。




高裁はAに懲役20年、Bに懲役5~10年、Cに懲役5~9年、Dに懲役5~7年を宣告。また監視役の少年3人を少年院送致とした。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




2004年知り合いの男性(当時27歳)を車のトランクに入れて連れ回した上、監禁して殴るけるの暴行を加えて怪我を負わせたとして、逮捕監禁致傷の疑いで、埼玉県八潮市のコンピューターオペレーターの男が逮捕されました。


この男は、女子高生コンクリート詰め事件で懲役5~10年の不定期刑で服役し、その後に出所したBだったことは、当時のニュースで多くの人が知ることになりました。


東京地裁は男に対し懲役4年(求刑・懲役7年)を言い渡したことも、当時大きく報道された記憶があります。


判決理由で裁判長は「更生が期待されながら犯行に及んだことは社会に大きな影響を与えた。前の事件を脅し文句に使っており、真に反省し再出発を図ったか疑問の余地がある」と述べたそうです。

一方で「前科が周囲に知れ、更生意欲をそぐことにつながったことも否定できない」とも述べたとのことです。

判決を言い渡した後、裁判長は「責任を果たしたら今度こそ、本当の意味での再出発を期待しています」と説諭したそうですが、その後、被告側は東京地裁での判決を不服として控訴したとの事。


しかしその後Bは控訴を取り下げ、懲役4年が確定しまた。



B曰く・・・

1人殺そうが2人殺そうが同じなんだよ。俺はな、調べられた経験があるから、警察とか検事にどう喋ったら罪が軽くなるか知っているんだ。検事をごまかすくらい簡単なんだよ」



このBは「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の最終陳述で涙ぐみながら

「被害者が死んだ姿を見ても、自分がこれからどうなるかしか考えなかったが、いまは人のやさしさを感じるようになった。小さいことだと思うが、これを一生、大事にしていきたい」

と自分の気持ちを述べた記録があります。



本当に人間って恐ろしい生き物ですね…。


この2つの言葉からも分るように、人間の法のあり方や限界、人間の真の悔い改めとは…と疑問に思ってしまいます。



こういった事件の内容により犯人像を知ることで、被害者とは何の関わりもない他人の私でも心情的には「死刑判決が出ても当然だ」と思うのですが、こういう人物が死刑執行により死んで無になることで、被害者のご両親、親族は納得できるのでしょうか…。


エホバの証人が教えているように、死んだら人は「無意識」であり、消えて永遠に存在しなくなるのでしょうか。


そうであるなら、このように残虐に人を殺した犯人は、死刑執行の際、死ぬときに一瞬の苦しみを経験するだけで楽になるということです。


精神的にも肉体的にも40数日間なぶられ、屈辱、苦しみを受けながら死んだE子さんの受けた苦しみと比べるなら、限界があり、完全な義を持っていない人間の思いの中でさえ「不公正」を感じてしまうのではないでしょうか。


では、本当に完全な義を持っていらっしゃる神様は、本当にこのような犯罪を犯し、真の悔い改めもない人間が死刑という重い刑罰で死んだとしても、永遠に消えて無になることが正しいことだとお考えなのでしょうか。



いいえ…



聖書では、ソロモンや敬虔な人々として知られているヨブ、ヨセフ、エノク、ダビデなどの確信となる証言から人の死後にも意識があることを教えています。


また、人間の理性による確証からも、「人は死んだら終り」であることには矛盾を感じ、納得できないのではないでしょうか。




次の記事では、人間の理性による確証の面から考えてみたいと思います。