あの組織から断絶しても、どれくらいの期間だったかはわかりませんが、家事をしていたり、お風呂の中で、無意識のうちにエホバの証人組織の「賛美の歌」を鼻歌で歌い、ハッとして歌いやめたことが何度もありました。


無意識に歌っているのですから、無意識のうちに歌わなくなるまで時間がかかるだろうな…と思ったものです。


JWの賛美の歌というといつも思い出すのですが、JWは「選民意識」が強いので、全てにおいて優れており「エホバの証人だけが聖書の正しい知識、理解を持っている」「組織から出された出版物だけが信頼できる」というように、賛美の歌に対しても、キリスト教会の賛美歌を決して認めませんでした。


「なぜ、教会の賛美歌さえも認めないのですか?」と研究生の頃聞いたことがあるのですが、「イエスを賛美している歌詞が主だから」という事でした。

そのときに、賛美、誉め讃えられるのはエホバただ一人であり、賛美とは崇拝の一つだから、イエスは崇拝の対象ではないのでイエスを賛美することは間違っていると説明を受けました。


また、エホバの組織の兄弟たちによって作られた賛美の歌のメロディーに関しても、次のような説明を受けました。



あるテレビ局の番組で、人間の脳のα波を放出するに相応しいメロディーは、一体どのようなメロディーか?という企画があり、脳神経の学者や音楽家たちが協力して作曲し、それを実際に演奏していたそうですが、その番組を見たJWが言うには、「まったくエホバの証人の『賛美の歌』の曲にソックリの曲だった…だって初めて聞くはずの曲なのに、『あれっ?聞き慣れている曲調だな…』と思ったもの。何気なく聞いていたんだけど、私たちが集会で歌っている賛美の歌の曲に似てるって気づいたの。やっぱり神の組織よね、エホバは私たち人間に一番心地のよいメロディーを知っておられるのよ。」と話し、周りのJW達は、その話に「やっぱりエホバよねぇ~」と感動されていました。


そのときは、恥ずかしながら私も感動した一人なのですが…。


しかし、今思うと何ともおかしな話ですよね。


神様を賛美する、神様に捧げる歌なのに、なぜ「人間の脳波に良い曲調の賛美の歌」なんでしょうね。



気がつけば、今は無意識のうちにあの組織で歌っていた賛美の歌に取って変わり、無意識のうちに教会で歌う賛美歌を歌っている事が多くなりました。


教会で賛美歌を歌いながら、何て美しい曲なんだろう、何て麗しい歌詞なんだろうと涙することがあります。

あの組織の賛美の歌だけが美しいなんてとんでもないです。


教会の賛美歌の歌詞の内容から、みことばの真理を学ばされることもあります。



今回、私の主人が導かれた教会の愛する兄弟のブログに賛美歌の記事がありました。


それを読みながら涙が溢れてきました。


キリストの愛、それに気づかない愚かな人間の罪深さ…。


私は何て愚かな人間だったんだろう…私は何て罪深い人間なんだろうと胸が締め付けられました。


兄弟が丁寧に歌詞を訳してくださったので、私の心に深く入っていきました。

兄弟、いつもありがとうございます。感謝です。


今回も、兄弟の記事、拝借させていただきます。




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これがまことの神

これがまことの神、「主イエス・キリスト」です。


「御冠をも汝は捨てて」(聖歌136番)


1.御冠(みかむり)をも 汝(なれ)は捨てて 世に下りまししに

 ただの一間(ひとま)さえも空けて 迎(むこ)うる家なし

 君よ この心に 来たり住みたまえ

(天の王座を捨てて、あなたはこの世に下ってこられましが、歓迎されるどころかただの一間さえ空けて迎える家もありませんでした。どうぞ、私の心に住んでください。)


2.御使いらは声を上げて 誉め称(たた)え奉(まつ)れど

 救い主の大御生(おおみあ)れを 言祝(ことほ)ぐ人無し

 君よ この心に 来たり住みたまえ

(天では、御使いたちは声を上げてほめたたえ奉っているのに、救い主がお生まれになったことを祝う人がいません。どうぞ、私の心に住んでください。)


3.人を解きて自由にする この生ける言葉を

 人は嘲(あざけ)り 苦しめて この上(え)に晒(さら)しぬ

 君よ この心に 来たり住みたまえ

(人の罪の贖いのために来られた生ける神を、人は嘲り苦しめて十字架にかけてしまいました。ああ主よ、こんな私たちを赦してください。そして、私たちの心に迎え入れます。)


4.天津国(あまつくに)の門(かど)は開き 迎えらるる時に

 宣(の)らせたまえ 「ここに汝(なれ)が住もう家あり」と

 さらば この心は喜びに溢(あふ)れん

(天国の門は開いて迎えられるときに、「ここにあなたの住まいが用意してある」と、おっしゃってください。そうすれば、私の心は喜びにあふれます。)



あなたがたは、私たちの主イエス・キリスト の恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」(コリントⅡ・8:9)


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今回も、主イエス様が地上に来られたこと、十字架で死なれたことが、どれだけ大きなことなのかを深く知ることができました。


感謝します。


アーメン。