バプテスマに関していろいろ互いに聖句から話し合っていくなかで、このような質問を受けました。



「組織を裏切ることになるのではないかという不安はありませんでしたか?」


「あなたに最初に神の存在を教えてくれたのはこの組織だったのではないですか?」


「この組織は間違っているかもしれないけれど、聖書の正しさを教えてくれたのは、この組織だったのではないですか?」


「あなたに神の存在を教えてくれた組織に対して感謝があるなら、自分のしている行為が裏切りだとは感じませんか?」




この言葉、セリフ、必ず同じことをあの組織の中にいらっしゃる方はおっしゃるんですよね。



でも、どうしてでしょう…。




「この組織が神の存在、聖書の正しさを教えてくれた…。そうしてくれた組織に対しての恩義はないのか…。」と、もっともらしい意見に聞こえますが、質問している本人が大切な核となる中心部を見落としているのかもしれないと思います。



一見、正論のように思えますが次のように聞き返すと誰もが言葉を失ってしまいます。




「そうですね、確かに私に初めて聖書から神の存在を教え、聖書の正しさを理解させてくれたのはこの組織です。


しかし、イエス・キリストだって幼い頃からユダヤ教の中で教育を受け、ユダヤ教の中で育まれてきましたが、ユダヤ教の間違い(神であるイエスを否定することなど)を激しく指摘し、パリサイ人たちを厳しく批判しました。


パリサイ人達と教えを共有することをせず、手を組まず、ある意味対立し、ご自分と徹底的に区別されました。


イエスのした事は感謝のない裏切りの行為であり、正しいことではなかったと言えますか?」と…。




そもそも私があの組織から離れたのは、「組織の中の全ての友を失っても、真理の側に立ちたい」と思ったからです。



あの組織が偽りなら、あの組織が教えて信じ込ませている神も偽りなのです。

それだけは理解しました。


でも、本当の神が誰なのか分からない状態でした。



しかし、聖書で教えられている神が、真の神だと理解していました。


「その神に出会いたい」、「知りたい」という思いだけでした。



なぜ、まだ真の神が誰なのか知らないのに、組織から離れる決断をしたのか…。



それは、次の事が私の思いの中に深く残っていて、それが真理だと思ったからです。




聖書には、「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです」マタイ22:37-38と記されてます。




さて、本当の…真理である、生きておられる全知全能の神から見て、人が犯す最大の罪とは何でしょうか…。




「殺人?」




いいえ…。




マタイ22:37-38でイエスは何と教えたでしょうか…。



「イエスは彼に言われた。『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』。これがたいせつな第一の戒めです。」




どんな戒めと書いてあるでしょう…。




「たいせつな第一の戒め…。」




もしそれが『たいせつな第一の戒め』であるならば、人が犯す最も重大な罪は何でしょう…。




そうです、この戒めを守らないことです。




そうであるなら、私は偽りの神を崇拝し、偽りの神を愛しているあの組織から離れ、本当の神を探さなければと思いました。



聖書の神は、自分以外の神を人が崇拝することを徹底的に拒絶なさいます。


「妬む神」とおっしゃるくらい、全き専心を要求する神だという理解があるなら、組織に留まることは真の神の目から見て忌み嫌われることだと思いました。



生きておられる真の神様に対して重大な罪を犯すことは、私の最大の恐れです。



組織に留まり、偽りの神を賛美し崇拝する事は、神に対する重大な罪だと思い、全てを失い、組織の仲間たちから白い目で見られ、拒絶されたとしても、私が偽りから離れることは、正しいことを愛される神が、きっと私がご自分を見出すように導いてくださるという信仰がありました。



辛い思いも葛藤もいろいろありましたけれど、あなたを信じてよかった…。

まだあなたを知らない時に、あなたを捜し求める者を、必ずあなたはご自分へと引き寄せてくださることを信じてよかった…。




感謝します。



アーメン。