東大総合研究博物館 | 散歩道

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ふら~りと散歩して感じたことを書いていきたいと思います☆
写真も投稿も全てiPhoneからです。ボケ写真はご容赦を~♪
2015年6月末からiPhoneから別のスマホに変えました 相変わらずスマホ写真です♪

昨日の日中は少し蒸し暑かったけど、夜は涼しかったです
空気が入れ替わったかのようでした
そしたら今朝の涼しいこと、20度くらいでしたよ
日中も日がある時は暑いけど空気は涼しかったです
暑さ寒さも彼岸まで!
本当に涼しくなるのかと思ってたら、本当に凉しくなりましたね!
ホッとしましたよ〜!
みなさんこんばんは



※東大続きです
懐徳門(かいとくもん)



奥に見えるのが東大総合研究博物館です

実はここに来るのが目的でした



沖ノ鳥島サンゴ礁岩塊



沖ノ鳥島サンゴ礁岩塊

この塊は東京の南方1740km、日本の最南端の低島、沖ノ島 鶏から採取された同島サンゴ礁の一部である、同島保全検討の ために国土交通省京浜河川事務所が2007年に採取し、調査 を行った後、東京大学総合研究博物館に寄贈された。同間は サンゴからなる卓値で、本岩塊にもハナヤサイサンゴ、ノウサンゴ、 トゲキタメイシなどのサンゴ骨格がみられる。



伝アインシュタイン昇降装置




ちょっと読めません



建物のそばに立つオオモクゲンジ
大きいですね!
水元公園にも一本あるんです 
本当に高くそびえてます



落花してます



入ります



写真禁止のマークが無いものは撮影可です



鉱物のコレクション



インカ帝国の装飾品



埴輪



蝶の標本も何種類かありました



鉱物



孔雀石



オウム貝
ガラス張りになって向こうに研究者の方がいますね



アンモナイト



縄文土器





渤海の瓦












二階の扉の上に展示されてました
今回は二階のもう1つの部屋は準備中で見ることが出来ませんでした



学術標本コレクションが400万点以上あるとか
展示数は少なめで、あっという間に終わりました



春日門から入り、弥生門から出ます



弥生門



近くに



町名が門の名前の由来のようです



弥生式土器発掘由来の地



弥生一丁目と二丁目の間 しなののかみ かつて、このあたり一帯は「向ヶ岡弥生町」といわれていた。元和年間(1615~24)の頃 から、御三家水戸藩の屋敷(現東大農学部、地震研究所)であった。隣接して、小笠原信濃守の 屋敷があり、南隣は加賀藩前田家の屋敷(現東人)であった。
明治2年(1869)これらの地は明治政府に収公されて大学用地となった。明治5年(1872)には、 この周辺に町家が開かれ、向ヶ岡弥生町と名づけられた。その頃、新しい坂道がつけられ、 町の名をとって弥生坂と呼ばれた。明治の新坂で、また坂下に幕府鉄砲組の射撃場があった ので、鉄砲坂ともいわれた。
弥生とは、水戸徳川斉昭候が、文政11年(1828)3月(弥生)に、このあたりの景色を詠んだ 歌碑を、屋敷内に建てたからという。
名にしおふ春に向ふが岡なれば世にたぐひなき花の影かな 徳川斉昭
郷土愛をはぐくむ文化財 



坂を下りました
坂道撮れば良かったですね
この看板見覚えある方いますか〜!
上野のお山から下ったらここに着いた時に撮りました
上野のお山と鉄砲坂は真逆なので、ここが谷になります



近くにつつじで有名な根津神社があるのでお祭りがあ?みたいですね



☆おまけ☆
美味しかった!



前に買った時より濃厚になった、、ような感じがしました
お酒に合います



あさ開は盛岡のお酒です
盛岡に行ったら買ってましたよ
これは本数限定、お店では最後の一本でした!
氷迎原酒(ひょうげいげんしゅ)





医療関係従事者、私たちの生活を支えてくれてる方々に敬意と感謝をこめて