飴細工の歴史について~その2 | あめ細工でつくる猫☆日本の伝統あめ細工師見習いnanaco

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12匹の猫と暮らしていた程猫好きなので、色んな種類・ポーズ・表情の猫さんを得意分野にするべく修行に励んでおります。夏頃にデビューする予定です☆あめ細工は見て楽しく食べておいしいです♪ぜひ寄っていって下さい☆

こんにちは、見習い飴細工師のnanacoです。


前回のその1では飴細工の歴史について、さらっと説明いたしました。

が、私自身?と思うところがあったので今回はもうちょっと詳しく、調べた情報を私なりにまとめて説明していこうと思います。

ちょっとマニアックかもしれません。しかも長くなってしまいました。

分かりにくくなりそうなので、軽く日本の歴史の年代を説明しますね。

それからいくつかの時代ごとに分けて説明していこうと思います。

ちなみに、調べるまでは私も時代の流れをよく覚えていませんでした(笑)


日本の歴史の流れ

・奈良時代(710~794)
・平安時代(794~1185)
・鎌倉時代(1185~1333)
・室町時代(1336~1573)
・戦国時代(1467~1575)
・安土桃山時代
・江戸時代(慶長8年1603~慶応3年1867)


まずは平安時代 編です。

飴細工の歴史は、延暦15年(796年)の平安時代、京都の東寺の建立時に飴細工がつくられお供え物としてささげられたのが始まりといわれています。

中国から渡ってきた職人が京都に住み、町で売ったことで技術が伝来し、東寺の建立時にお供え物としてささげたともあります。

(が、「飴をつくる」技術が伝来したのか「飴細工」の技術なのかよくわかりません。)

ただ、食品としての「飴」の歴史は古いです。

『日本書紀』(奈良時代に成立した日本の歴史書)の「神武紀」には、戦勝を祈願して「飴(たがね)」をささげた逸話が記されています。

でも、それがどのような飴だったかについては詳しい記述がありません。

(なのでおそらく、中国の職人によって、奈良時代より高度な「飴をつくる」技術が伝わったのではないかと思います。)

(このあと江戸時代になるまで現在のような飴細工についての記述がないことからも、やはりそう思います。)

(もしかしたら、それまで水飴状だった飴が、細工ができるとまでいかなくても固形状の飴をつくれるようになった、ということで飴細工の始まりといわれているのかもしれません。)


飴の製法まで記された具体的な記述になると、

天平宝字六年(762年)の『食物手帳』に白米を煮て「糖」とすることが記されています。

糖は当時の飴の別名です。

知っていましたか?

飴ってお米(でんぷん)からできていたんです。

なので飴細工は砂糖ほど甘くなく、ほんのりとやさしい甘さなんですよ。(ちなみに砂糖もこの時代にはありましたが大変貴重で薬として用いられていました。)

話しをもどしますね。

『延喜式』(平安時代中期の宮中の儀式や制度をまとめたもの)にも

製法や販売についての記述がみられ、水飴づくりの基本は、すでにこの時代までに出来あがっていたことがうかがわれます。

しかし当時の飴は非常に高価でした。

現在のようにおやつとして手軽に口にはできず調味料や薬用として食されていました。

そのためか、奈良時代から戦国時代までの長い間、水飴の製法はほとんど発展することがなかったようです。

わずか鎌倉時代の弘安年間(1278~1288)に、水飴と干し柿を煮てきな粉をまぶした豆飴がつくられたことがわかっているのみだそうです。

つまり、平安時代はあめ細工の始まりではあるけれども、現在のような動物のかたちをつくるにはほど遠く、コロンとした丸い飴玉のかたちですら難しかったのではないかと、思われます。


長らく書いてしまいましたが。

まだまだ書き足りません。

次回は「その3」として室町・戦国時代の飴の歴史について説明してみようと思います。

もし詳しい方が見て下さって、まちがっている箇所などありましたら教えて頂けると幸いです。


では、ここまで読んで頂いてありがとうございます!