い、忙しい。
認めたくないけれど、やっぱりどうしても忙しい。

「すべてのことはただ起きて、通り過ぎていくだけ」とはとても思えません。
まさに自我と一体化している自覚があります。

なので、愚痴らせて下さい。
自我は一応語りたいし、どんなに酷い目にあったのかを言語化したいのです。
一応、聖霊に捧げるということで、ここに書きます。

忙しい理由は、
①薬局の感染外来の患者さんが激増した上に、
②お盆休み前の繁忙期が重なって、ただでさえ人手が足りない中で、
③職員1名がコロナ陽性となって10日間自宅待機となり、ほぼ同時に
④別の職員1名のお身内にご不幸があって忌引でお休みされ、
結果、完全に人手不足になったからです。

しかもこのバタバタの最中に、私は4回目のワクチン接種を受けたため休日を副反応で寝込み、家事もままならない状態になりました(涙)
更に私の実家、夫の実家、そして地方在住の息子までもが、この時期になんやかんや言ってきて、その対応にも追われました。

思考停止をして、目の前のことをとにかくこなし続けましたが、
テトリスみたいに、いくら消しても消しても、またどんどんやってくるので、
『あれ⁈なんかおかしいぞ』
とさすがに気づきました。
(これって自作自演の大捏造祭りじゃん!)

今、これを書きながら、まあまあ落ち着いて振り返ってみると、
聖霊のこと…、すっかり忘れていました。
コース学習をはじめて丸6年間、毎日読み続けていた「奇跡講座」から離れていたことに気づきました。
コースからちょっと離れた隙にあれよあれよと「自分でやる」「ひとりでできるもん」モード(自我)になっていました。

逆にコースってすごくないですか?
よくわからないままに読んでいただけで、実はちゃんと救われていたのですから。

コース学習を怠った途端、急激に忙しくなり、自分1人で3人分の仕事量をこなしているというある種の快感があり、もうめちゃくちゃ得意になっていました。
そして、調子に乗ってどんどん働き、働き過ぎてハイになっておりました。
「豚もおだてりゃ木に登る」の典型です。
アホです、私。


T-25.Ⅳ.2:1-2
したがって、知覚の基本的な法則は、次のように述べることができる。「人は自分が見るものを喜ぶ。なぜなら、人は喜ぶためにそれを見るからである」。
そして、苦しみと罪が喜びをもたらしてくれるとあなたが信じている間は、苦しみと罪が、あなたが見るべくそこに存在し続けるだろう。

***

そういえば、話が変わって恐縮ですが、
そもそも職場のスタッフにコロナ陽性者が出た時点で、薬局内全員が濃厚接触者だと思うのですが、なぜかそのまま通常業務になっていました。
なんかおかしくないですか?

社長の理屈では、お互いにマスク着用などの感染対策が施されている医療施設におけるコロナ陽性者の発生は濃厚接触者とは見なさないということらしい。
早い話が医療従事者は濃厚接触者にはならないってことです。
(ホントかね⁉️)

まあ確かに毎日毎日多数の感染者を相手に仕事をしているので、この仕事で濃厚接触者うんぬん言ってたら話になりませんが…。

とはいえ、感染の患者さんとは防護服を来て屋外で接しているけど、職員の方とは朝から晩まで狭い薬局内にいる訳だし、それに、お昼休みにはマスクなしで食事をしたり、お茶を飲んだりしている訳だから、やっぱり濃厚接触者だよねと思います。(換気はしっかりしていましたが。)

実は薬局長さんとコソコソ、
「私達、今、抗原検査したら陽性になる自信あるよね」
と言っていました。
「症状が出たら検査しよう」
という話をして、もうこのことには触れないことになりました。
(疑い出したらキリがない。)

結局、これを書いている時点で、濃厚接触者としての待機期間はもちろん、陽性者としての待機期間も過ぎているので、この話は終わっています。
それに、もう夏休みに入っているので、実はすっかり大丈夫です。
ごめんなさい、大騒ぎしちゃって。

「すべてのことはただ起きて、通り過ぎていくだけ」だと、今はホントにそう思えます。
ありがとうございました。


T-25. Ⅸ.7:6
聖霊の助けなしに自分で解決しようとして問題をとっておくということは、問題を未解決で片づかないままにし、不正義と攻撃の力をもったまま存続させるという決断をすることである。

T-25. Ⅸ.5:1
聖霊の問題解決こそが、問題を終わらせるやり方である。