先日、かつてのスピ仲間Aさんとお久しぶりにオンラインでおしゃべりする機会がありました。

 

私が『奇跡講座』を学ぶ以前ですが、彼女とのおしゃべりでは、オーラ、チャクラ、エネルギー、前世、宇宙、そして、霊などの言葉がよく飛び交っていたものです。

 

正直に言えば私はこのAさんとお話しすることが、いつもなんとなく気が乗らず、どこか彼女をずっと避けている所がありました。


その理由は、彼女の話し方が上から目線で、どこか認めて欲しいような感じがするし、その上、人を小バカにするような態度を取るからです。

(ええ、もちろん私の投影だと痛い程存じております。困ったものです。)

彼女と話していると私自身も『上から目線』で『私は正しい』という主張をどうしようもなくしてしまい、『心の平安』からはどんどん離れていきます。

聖霊のことなどどこへやら。

6年も学んだ『奇跡講座』は無きものとなり、彼女と話した後は、よくわからない怒りと自己嫌悪でいっぱいになり、とにかく不愉快にしかなりませんでした。


ただでさえ、ここのところ例のプーチンのことで一生分どころか何生分も怒りまくってしまい、無力な自分を呪うように、頭痛、イライラ、首・肩のコリ、あげく不眠や身体がカーッと熱くなるといった症状を発症して、完全に自律神経失調状態になっていたところに、このAさんとのやりとりがありました。

もう二度とAさんとは関わりたくない、と本気で思ってしまいました。
そして、こんなに人当たりがキツいAさんにはきっと友達はいないだろうとも思ったものです。
ところが幸か不幸か、私は一応コース学習者の端くれなので、Aさんについての評価は、この自分自身についての評価なのだというのがずっとつきまとって仕方がありません。
結局、Aさんに投影していた『上から目線』で人を小バカにするとんでもない人は自分自身だと気づかざるを得ない数々の過去のやらかしを具体的に思い出すこととなりました。

 

T-21.V.2:3-4

自我が言うことに耳を傾け、自我が命じるままに見るならば、あなたが自分自身を微小で、傷つきやすく、怯えたものと見ることは確実である。

落胆や、無価値感や、はかなさやむなしさの感情などを経験するだろう。

 

自分の中の見たくないものを見て、ひどく落ち込み、自己嫌悪でいっぱいになったので、それを赦しました。

そして聖霊は常に一緒に居てくれたし、『奇跡講座』を学んだことが無きものにもなっていなかったことがわかりました。

ちゃんと内なる声が思いも寄らなかったことを囁いたのです。

『病院に行こう』

 

『ええ?病院?この怒りや自己嫌悪が病院で何とかなるの?』

私自身、身体の症状と対処法については、医療従事者としてわかる範囲のことは既にしているので、病院に行ったところで処方される薬はもう飲んでるし、あとはホルモン療法位だろうとたかを括っていました。

でも、内なる声がその怒りや不調はホルモンのせいだから、いくら『奇跡講座』を読んだところで『心の平安』には至らないよと言うのです。

そして、『確かに自分は相当狂っていて、私には何もわからないのだ』という言葉が頭に浮かんだので、思い直しました。

 

それから数日して、大した期待もせずに、気軽な気持ちで、通院可能な女性医師のいる内科を受診しました。

問診や血液検査の結果、「教科書通りの更年期症状です」と太鼓版を押されました。

実は、昨年秋から『殺して欲しい』と思う程つらい頭痛や激しい嘔吐で一日中寝込むことが何度もあり、脳神経外科でMRIを撮るも異常なしと言われてきました。

結局、これも更年期症状の一つだったのです。

 

更年期症状の治療として、プラセンタ注射を打ってもらいました。

これが功を奏しました。

1回打っただけで、頭重感、首・肩のコリが軽くなり、霧が晴れたように、私の見ている世界が明るくなったのです。

それも瞬時に。

『ああ、本来の自分に戻った』と久しぶりに幸せを感じました。

 

ここ2ヶ月程はプーチンに対する怒りで自律神経失調状態になったと思っていましたが、事実はその逆で、どうも更年期症状のイライラからプーチンに怒りまくっていたのです。

というのも、治療を受けたら、すっかり気持ちが落ち着いてしまい、『怒りとは何か』と怒りを遠くに感じるようになったからです。

 

今は『心の平安』を得た安堵の気持ちがいっぱいで、ブログもなんとか更新出来ました。

よかったです(^^)

 

 

T-21.Ⅱ2.

これから述べることが、心眼や幸福や、苦痛からの解放や、罪からの完全な脱出のために、あなたが為すべき唯一のことである。

ただ次のように言いなさい。ただし、ためらいなく、本気で言わなければならない。なぜなら、ここに救済の力があるからである。

 

私が見ているものについての責任は、私自身にある。 

私が経験する感情を選択するのは私自身であり、私が達成したいゴールを決めるのも私自身である。

そして私の身に起こるかに見えるすべては、私が求めて、求めた通りに受け取るものである。 

 

自分に対して為されることを前にして自分は無力であると、これ以上自分を偽るのはやめなさい。

自分が間違っていただけだと認めなさい。そうすれば、あなたの間違いの結果はすべて消え去るだろう。