先日、Facebookから友達申請のお知らせが来ました。
いつもならスルーするのですが、この時は申請してくれた方のプロフィールを見に行きました。
その方は生まれも育ちもロンドンで、ロンドン在住の日本人女性でした。
彼女は写真の印象がステキで、「共通の友達」にコース学習者(ACIM)の方がいたので、軽い気持ちで承認しました。
この時は単にFacebook上の「友達の数」が増えるだけだと簡単に思っていました。
ところが、承認した直後にこのロンドン在住のオシャレ婦人(Aさん)がメッセージを下さいました。

「おはようございます。私の友達の申し込みを受け入れてくれてありがとう。会えてうれしいです、今日はお元気ですか、あそこの天気はどうですか?」

ちょっと日本語に違和感がありました。
でもメッセージが嬉しくて、すぐにお返事をしました。
こうしてやりとりが始まり、Aさんは私にいろいろ質問してくれました。
でも、なぜか彼女は私の回答をスルーして、彼女自身のことを簡単な日本語で書いてくるだけなので、何だか微妙に通じないなと思いました。
もしかしたら、私が日本語でまあまあ長めの文章を書くので、わからないのかも知れないと思い、次はGoogle翻訳で英文にしてから送ってみました。
すると彼女からは英語で長文が送られて来ましたが、やはり私が書いたことについてはスルーされていました。
なので、私は自分のことを書くのをやめて、彼女の話題を広げるようにして返信しました。
すると彼女からの返信が、びっくりする位、急に深く複雑になったのです。
彼女の英文を日本文にしてから読みましたが、Google翻訳なので、意味がよくわからない箇所があります。
そのせいだとは思うのですが、『ここまで言うの?』というような内容が書かれてあり、正直、返事に困ってしまいました。

詳細は書けませんが、一例を上げると、Aさんは100億円以上の資産を持っていて慈善事業や寄附などの活動をしているそうです。
この話が本当であろうとなかろうと自分の資産について、よく知りもしない人(私)に話すのって、どういうことでしょう?
私は返信に困りつつ、彼女の気持ちに出来るだけ寄り添って、「〇〇は残念でしたね」とか「△△ということなら、さぞおつらいでしょうね」とか「あなたが普段なさっていることはとても素晴らしいですね」とかをGoogle翻訳の英文で返信しました。
そしたら、なぜかそれっきり音信不通になったのです。
私の英文(Google翻訳?)が不味かったのか、返信までに結構間があったのがいけなかったのか、いずれにせよ、彼女は私とのコミュニケーションをあきらめたようでした。

***

このAさんとのやりとりをしている頃、Bさんという人からも友達申請がきました。(どうもAさんの友達リストから私を知ったようです。)
Bさんのプロフィール写真が医師という感じだったので、私は勝手にAさんの主治医かなと思って友達に承認しました。

Bさんとはしばらく何のやりとりもなかったのですが、なぜかAさんとのやりとりが途絶えたタイミングで、Bさんからメッセージが来るようになりました。
Bさんの文章は明らかにGoogle翻訳な日本語でしたが、私は日本語のままお返事をしました。
彼は音楽が好きで、音楽についての質問をして下さったので、私は普段よく聴く音楽のジャンルと具体的なミュージシャンの名前をいくつか書きました。
彼は私の答えをスルーして、自分の好きなミュージシャンの名前を上げて、それについて詳細に説明してきました。
私はそのミュージシャンを知らなかったので、検索して聴いてみました。
ヨーロッパではすごく人気のグループであることがわかり、音楽もとても良かったので、紹介してもらってすごく良かったと彼にお礼を言いました。

すると、ここから彼の文章が妙な感じになりました。
多分、彼がGoogle翻訳で日本文にしているせいだとは思いますが、ストレートな愛情表現が散見されるようになったのです。
そして「あなたをコンサートに連れて行きたい」と言い、LINEアカウントまで知らせて来ました。
Bさんは私のことを知らなさ過ぎて、勝手にある種のイメージを持ち、仲良くなりたいと思っているようでした。
返事に困り、このまま既読スルーするか、ブロックするか、悩みましたが、Bさんの気持ちを考えると事情も分からずに突然やりとりが途絶えるのでは気の毒に思えたので、私は正直に自分のことを書きました。
自分の年齢や家族がいること、日本でフルタイムで働いていることなどです。そして、
「私がFacebookをやっている理由は、コース(ACIM)の学習グループとつながるためであり、コース以外のことで個人的なやりとりをこれ以上するつもりはありません。これらの理由から、あなたがLINEを交換したり、一緒にコンサートに行く相手として、私は相応しくありません」
と伝えました。
最後にやりとり終了の挨拶とお礼を言って締めました。

これでさすがにもう返事は来ないだろうと思いきや案外そうでもなくて、
「あなたは信頼できるから、自分のことを正直になんでも話せる」
と言い、彼は過去にあった自分のつらい話を長文で書いて来ました。
それもGoogle翻訳な日本語だったので、よくわかりません。
「純粋にあなたを兄弟姉妹として頼り、日本に行ったらぜひ会いたい」
とまで彼は言ってきましたが、このメッセージまでたった3回のやりとりしかしていません。

私の方は既にやりとり終了の挨拶もしたので、心置きなくBさんをブロックさせて頂き、彼と「共通の友達」であるAさんも友達から削除させて頂きました。

AさんもBさんも大して知りもしない人(私)に対して、ビックリするぐらい急に親しくて深い内容のメッセージを送って来るので、ちょっと怖くなりました。
国民性でしょうか?
それとも単に私が騙されそうになっただけなのでしょうか?
(騙すって何を?さっぱり想像がつきませんが…。)
私がSNSについて世間知らずなだけなのかもしれません。

上記のことはわずか6日の間に起きたことなのですが、実はあまりの急展開にすっかり聖霊に相談することも忘れていました。

今、聖霊と共にこの出来事を振り返ってみると、AさんもBさんも大して知りもしない人(私)だからこそ、今まで誰にも言えなかったことが言えたのかもしれないと思えました。

我が身を振り返れば、過去の自分も、初めて会った人(コース学習者の方々)に、自分の相当やばい話を結構していたことが思い出されました。
(おかげさまで、あの頃の悩みは全部解決されています。)
考えてみると、このブログだってどこの誰が読むかもわからないのに、自分のことを結構書いています。
こう考えると、Aさん、Bさんを特に怖がらなくてもよかったんだと思えて、だんだん心が静かになっていきました。
彼らが言っていたことは、この世界の形のことだけだったのだから、私は形で反応せずに、心に戻って聖霊と共に彼らの話を聞けばよかったのだと思いました。
聖霊と共に見てみると、Aさんの「100億円以上の資産の話」もBさんの「一緒にコンサートへ行こうよ」の話も軽く笑いながら眺めていられることに気づきました (笑)
二人とも自分に「注目される」ことを望んでいただけでした。
そして、それはまさに私の投影だったのです。

JACIM小冊子 『赦すけど忘れない』p91〜
自我は何よりも「注目される」ということを好みます。
研究され、分析され、説明され、理解されるということが大好きです。
それにより、自我が本来は持ち合わせていない実在性を与えられるからです。
ここで大事なことは、私たちの心の中の「どちらの教師に従うかを選択できる部分」に戻る、ということです。
一方の教師は、私たちに自我を見せ、それを実在のものにします。
もう一方の教師は、私たちに自我を見せ、微笑ませます。