ここのところ朝からすごく暑い日が続いていて、自転車通勤の身としてはなかなかハードな日々ですが、コース学習者として、この暑さも赦しの対象としています。
なので毎日『暑い〜』と思ったら、反射的に赦しています。
今やこの暑さが聖霊を思い出すきっかけにさえなっています(笑)

そんな風に、心の中で聖霊に話しかけながら(赦しながら)通勤していたある日のこと。
「すみませーん」と年配の男性の声がしました。
でも、私は自転車に乗っていて、それなりにスピードも出ていたし、まさか自分に向かって言われているとも思わなかったので、そのまま通り過ぎようとしました。
そしたらまた更に大きな声で「すみませーん!」と同じ声がします。
思わずそれに反応して、自転車を止めて声のする方を見たら、赤い車に乗ったおじさんが運転席の窓を開けて、私を真っ直ぐに見ていました。
そして、私と視線が合った途端いきなり大声で、
「A市に自動車学校って、ありますよね?」
と聞いてきました。
『ああ、道を聞きたかっただけなのね』と少し安心したものの、A市に自動車学校はありません。なので、
「自動車学校?」
と返答に困って聞き返したところ、おじさんは「車の教習所のことですよ」
と言いました。

いやいや、そうじゃなくて、自動車学校が教習所だってことは、私にだってわかります。
どう答えたものか困っている、という意味での聞き返しだったのですが、おじさんには伝わりませんでした。
もしも本当に自動車学校がわからない人に、それは車の教習所のことだと説明したところで、何の役にも立たないだろうと思うのですが、一体おじさんのこの返しは何なのだろう?
会話が噛み合いません。

私 「A市には教習所はありませんよ」

教習所は隣接するB市、C市、D市にはありますが、A市にだけありません。
よりによって、ないところのA市を指定してきたのです。

おじさん 「隣に高校があるでしょっ?」

ああ、ここでピンと来ました。
A市ではなく、B市にある自動車教習所を探していたのです。

私「ありますけど、そこはA市ではなくB市ですよ」

と大声で答えたのに、おじさんには聞こえなかったみたいです。
無反応でしたから。
ここで『ああ、B市なんですね』くらいの返しが欲しかったのに、何も返ってきません。

仕方がないので、私もA市だのB市だののこだわりを捨てて、ここから、このおじさんが探しているという自動車教習所までの道順を説明し始めました。
ところが、それなりに道幅のある車道の端と端で、私は自転車に乗ったまま後ろ向きだし、おじさんは車の運転席に座ったままの状態なので、大声を張り上げるしかありません。
しかも、このおじさんと私の間を、時々車が往来しています。(コロナ禍のソーシャルディスタンスにはバッチリなのですが。)
車が通るたび、声がかき消されて何度も言い直すことになるし、説明の途中で、おじさんは「ちょっと待って」とか言って、しばらくメモ帳を探し始めるような始末で、結構苦戦しました。
ここで『おそろしく、マイペースなおじさんだわ〜』という自我の声が聞こえたものです。

なんとか説明を終えた後、おじさんはそれまでになく一番小さな声で、
「ありがとう」(たぶんそう言ったと思う。)
とだけ短く言って、そそくさと車を発信して行ってしまいました。
その場に一人残された私は軽く呆然としました。

えーっ!さっきまであんなに大声を出していたのに、一番肝心の“ありがとう“が小声って、なんで?
朝の通勤時の最も余裕のない時間帯に、あれほど時間をかけて丁寧に道を説明してあげたのに、あの愛想のない態度は一体なんなの?
おかげで、こっちは遅刻しそうになったわ〜。
と自我の声が止まりません。

いつもならスルーするところですが、日頃暑さを感じるたびに聖霊を思い出していたおかげで、今回は赦すことができました。

そしたら、このおじさんがある意味すごい人に思えてきて、ちょっと鳥肌が立ちました。
イマドキ、車で知らない場所に行くのにナビもスマホも使わずに、通りすがりのチャリおばさん(私のこと)を呼び止めて道を聞くって、ちょっとすごいんじゃないの⁈と思えたのです。

おじさんの探していた自動車教習所は、道を聞かれた場所から5Km位離れています。
私は普段車に乗らないので、5kmも離れた場所の地理には詳しくありません。
それに、おじさんは行きたい施設名称を一切言いませんでした。
教習所や隣にあるという高校の名前には地名が入っているので、最初から施設名で言ってくれたら、「自動車学校?」「教習所のことですよ」などという間抜けな会話をしないで済んだしは、そもそも「A市にある」なんて話もなかったことでしょう。
「隣に高校がある教習所」という情報だけで、しかも結構離れた場所で道案内できるチャリおばさんって、そんなにいないように思うのです。

たまたま私の場合は、この教習所でペーパードライバー教習を受けたことがあり、その隣の高校に息子が通っていたこともあったので、知っていただけなのです。
別の教習所を聞かれていたら、とても道案内なんてできませんでした。
なので、このおじさんの勘ってある意味すごいんじゃないの⁈と思った訳です。

どうも不思議がいっぱい詰まった感じのおじさんだったし…。
この不思議な感じは、たぶんコミュ障系だと思うのですが、だとすれば、うちの息子もコミュ障系なので、私は対応に慣れています。
そういうこともあって、このおじさんが私を呼び止めたということなら結構納得です。
実は適材適所だったんですね。

納得しちゃえば後は簡単です。
動揺は消え、おかげさまで、心の中はすっかり平安になりました。
めでたし、めでたし。



T-31.I.13.1-4
誰についてであれ、これまであなたの心をよぎった善や悪といった考えを意識せず、裁かない者でありなさい。今、あなたは彼を知らない。しかし、あなたには彼について学ぶ自由があり、しかも彼を新しく学ぶ自由がある。今や彼はあなたにとって生まれ変わっており、あなたは彼にとって生まれ変わっている。そこには、彼に死を宣告し、彼と共にあなたにも死を宣告した過去はなくなっている。