ケネス・ワプニック博士の著書「天国から離れて」は、「A Course in Miracles」(奇跡講座)を筆記したヘレン・シャックマンの伝記です。

 

私は2017年3月の時点で、全体P570のうちP333までを読み、そこで挫折していました。
コース関連本は、ゲイリー本4冊を含め、どれも繰り返し読む程お気に入りですが、「天国から離れて」だけはそうでもありません。


挫折していた3年弱の間に、コース学習者の諸先輩方から、
「今、ヘレンの“天国から離れて”をまた読み返しているけど、本当に面白いよね」
と言われ、その度に
「あれのどこが面白いんですか?おもにヘレンの愚痴について書いてある本ですよね?」
と答えていました。
その時の私は単純に読んでいて、つまらないと思っていたのです。


ところが今年になって、なんとなく「天国から離れて」を手に取り、挫折した箇所から再び読み始めました。
そして今度は何の抵抗もなく夢中になって一気に読み終えたのです。

『あれ〜⁉︎ 面白ろかったぞ〜。何でつまらないと思ってたんだ⁈』

ヘレンという人が余りに強い光を持っている人で、その強い光が作り出す強い影が、この本を読んでいる私の影の部分を映し出しているようで、それがつらかったんだなと思いました。

3年前はこの本を自分の身に置き換えて読めていなかったので、『ヘレンの愚痴を読まされて、何だよ〜、つまんないな〜』と自我の声がしていました。

 

ヘレンが質として持っている「光と影の葛藤」は、「神への想いと神に対する恐れの間にある葛藤」であり、ヘレン程ではないにせよ、私も持っているものだと今回は素直に思えました。

実はヘレンや私に限らず、全員が持っている葛藤だと思います。

ということは、この本はヘレンという一個人の具体的な人生を描きつつ、形態は違えど内容において、私たち自身の葛藤についても描かれているということなのです。

それが理解できた時、深いレベルでこの本の内容が自分の内側で響きました。

『わあ〜、読むべき本だった』と今更ながら驚いたのものです。

 

そういえば、この本を「本当に面白い」とおっしゃられていた方々は、(私からみてですが)みなサイキックな方ばかりでした。

普通の人なら見えたり聞こえたりしないものを、普段見たり聞いたりするような人たちにとっては特に、ヘレンの知覚の仕方やヘレン自身の人生に対する共感は大きかったのだろうと思います。

 

この本の中で、イエスが直接ヘレンやビルに対して、奇跡講座の思考体系で物事を捉えられるようにするための心の訓練を行なっています。
ここに書かれていることは、多かれ少なかれ自分についても当てはまることばかりです。

ヘレンやビルを通じて、私も一緒に心の訓練を受けているみたいでした。

心の訓練といえば、本家本元は「奇跡講座」ですが、このテキストは抽象度が高く、書いてあることを自分の具体的な生活に当てはめることは非常に難しいです。

(だからワークブックもあるけれど、これも抽象的。)

「天国から離れて」の方は、ヘレンという一人の人間の内面外面の心境や状況について具体的に書かれていて、それに対してイエスがヘレンに直接なんだかんだ言うので(といってもテキストと同じ文言だけど)、テキストよりは、いくらか身近に感じられます。


ヘレンは直接イエスの声を聞いていたのにも関わらず、一切、コースの原理を彼女自身の人生には当てはめようとはしませんでした。
(だから、彼女の人生はものすごく痛々しい一面があります。)
それはまるで、コースに従う人生(聖霊を教師とする人生)とコースを無視する人生(自我を教師とする人生)の違いを、ヘレンが身を持って示してくれています。(これを読んだら、コースに従う人生をぜひ選びたいと思うだろう。)


ヘレンがずっと手放すことのできなかった恐怖や不安は、決して一個人のものではなく、人間の根源的な、いわゆる集合意識レベル(無意識)の壮大な恐怖や不安を知覚していたからこそのものだったのでしょう。

だから、イエスはヘレンに「奇跡講座」の筆記を通じて、コースの原理を伝え、彼女自らが「赦し」を実践することで集合意識レベルの壮大な恐怖や不安が癒されることを、イエスは伝え続けたのだと思います。

残念ながら、ヘレンはコースを筆記しながらもコースに従う人生を選ばなかったのですが、私たちはそのヘレンの生き方を反面教師として学び、コースを自分自身の人生に当てはめて、常に赦しの実践をしていけたらいいなと思いました。

 

 

 

「天国から離れて」P249〜P 250

読者はさらに、これらの記録から、イエスがヘレンとビルを「講座」(コース)が提唱する線に沿って思考できるように訓練していた様(さま)を、自ら確かめることができるだろう。特に、イエスはふたりに、彼らの苦悩の原因は外的な出来事や状況や相手の中にあるのではなく、その状況や相手を彼ら自身が知覚するときのその知覚の仕方の中にある、ということを認識するよう指導していた。そしてその訓練に必須の事項として、イエスはヘレンとビルに対して(つまり私たち全員に対して)、彼に助けを求めるように、という要請を頻繁に繰り返した。これは、彼らがイエスを通してのみ自我を退けることができるからであった。