ホテルの窓からの風景「フィレンツェ」
 

 

以前TVでフィレンツェの映像を観て、この街の美しさに一目惚れした私は、即フィレンツェに行くことを決めました。

 

W-pl.151.4:2-4

これまであなたは、自分で判断することを控えるようにとたびたび勧められてきたが、その理由は、それがあなたにふさわしくない権利だからではない。あなたには判断するということができないからである。あなたにできることはただ、自我の判断を信じることだけだが、自我の判断はすべて間違っている。

 

W-pl.151.9:6

この世界の中であなたの身にふりかかるように見えるすべてのことについても、聖霊に判事となってもらいなさい。

 

【自分で決めたことはろくなことにはならない】と散々コースで学んでいたので、フィレンツェに行くという決断を聖霊に捧げ、聖霊に決めてもらいました。

そして、結局フィレンツェだけでなくローマにも行くことになり、ローマ&フィレンツェは私の想い人のように日々頭に浮かんでは離れない存在になりました。

まるで好きな人ことは何でも知りたいという乙女心モードで、ワクワクドキドキして、ガイドブックを読んだり関連映像やネットなどをたくさん見たりしていました。

知れば知る程、ローマ&フィレンツェへの想いがどんどん深まっていき、その2ヶ月後、私は夢叶ってローマ&フィレンツェの街に実際に立っていました。

(こんな風に書くと願望実現とか引き寄せの法則みたいな話ですが、そういう話ではありません。)

 

W-pl.151.10:3

神に愛されているあなたには善きことだけが訪れるということを、あなたはもはや疑わなくなるだろう。聖霊がすべての出来事を正しく判断し、それらすべてに含まれている唯一のレッスンを教えてくれるからである。

 

自分で何かを決めた時には【その決めたことを実現させない自我の声】がします。
今回は『仕事は?息子は?お金は?』『語学がダメなのに、一人でローマまで行けるの?』という声がしました。

でもこの自我の声は、実はものすごく小さかったのです。
胸に感じるドキドキ感(神の愛)の方が優っていて、自我の声がかき消されていました。

 

W-pl.151.6:1

自我の声を聞いてはならない。

 

聖霊と共にいて神の愛(ドキドキ)に耳を傾けていれば、もうそれだけでも歓びいっぱいですが、夢(現実)の方も幸せになります。

でも夢が幸せになって居心地が良くなっても、天国に比べれば大したことはないらしいでので【幸せな夢】で妥協してはいけません。

たとえ幸せな夢であっても、所詮夢でしかないのだから、私達は真に目覚めるためにコースを学び続け、夢を赦し続けています。

一方、好きなことや興味のあることは【神の愛を思い出すツール】だと認識して、この胸に感じるドキドキ感を大事にしたいと思います。

自我の声に耳を傾けてはいけません。

 

W-pl.151.11:3

そしてあなたは、憎しみを超えたところに愛を、変化の中に不変性を、罪の中に清きものを、世界の上に天国の祝福のみを、見るようになる。

 

W-pl.151.12:4

そのようにして、あなたはすべてのものの中にキリストの顔を見るだろう。そしてすべてのものごとの中に、神の声のこだまだけを聞くだろう。

 

ローマもフィレンツェも、本当に素晴らしかったです。

特にフィレンツェには実際に行ってみて、ますます愛しさが募りました。

本当に美しいのです。

またぜひ行こうと思ってます。

(聖霊に決めてもらおう。)