過去のブログを読んで下さった方から、ごくたまに個人的にコメントを頂くことがあるのですが、そのコメントが、当然ですが、過去ブログの私のやらかしに対してのコメントだったりするので、お返事にものすご〜く困ったりします。


ブログを書かれている方で、こういう経験したことって、ありませんか?

コメントを下さった方にとっては“今”なのかもしれませんが、私にとっては過去も過去。

何を書いたかさえ定かではないところで、何か言われても、“今”の私には何も返せません。

ここは正直に、
「過去のことなんで、勘弁(看過)して下さい」
と言いたいところですが、実はすごく微妙で言えません。
というのは、コメントの内容が抽象的過ぎて、ハッキリと過去ブログに対してコメント頂いたものと言い切れないからです。

実は何目的のコメントなのかがわかりません。
ただその方の中で何かしらインスピレーションが湧いて、シンプルにメッセージを伝えてくれただけとも言えなくもないのです。

コメントの内容の抽象度が高いので、こちらから何か言う隙もありません。
言葉としては、とにかく正しいことをおっしゃっています。
それで何をどう返せばいいのかホトホト困りました。

それでもせっかくだから何かしらお返事はしたいと思って、結局、「おっしゃる通りです」とか「確かに」としか返せず、最後はスタンプで終わるという感じになりました。
(なんだか兄弟とのコミュニケーションがかみ合わない感じだけが残りました。)

自分ではどうすることもできないので、コースを思い出しました。

兄弟のコメントは、愛の表現か愛を求める懇請かのどちらかなのだから、どっちにしても愛で応えるというのが正解なのでしょう。
でも、愛で応えるって、具体的にどうすることが愛で応えることなのか、これまたさっぱりわかりません。

コースには具体的な行動については書かれていないからです。
というか、“愛で応える”ということ自体、具体的ではないので、わからなくて当前なのですが…。


ここに来てやっと、この“どうすればいいのか、わからない”という動揺を聖霊に捧げて、赦しました。

すると、どうも聖霊が、兄弟を通じて、私にたくさんのヒントをくれたような気がしました。(聖霊の再解釈)
『ああ、愛の表現だったんだ』


そうわかってしまえば、兄弟に何を言われようと、感謝しかありません。

ただ「ありがとう」と返せばよかったのです。


ありがとう〜(^^♪



 18章Ⅶ.5.2-5

神聖な関係は、時間を省く一つの手段である。
兄弟と共に過ごす一瞬が、あなた方両方に全宇宙を取り戻させる。
あなたの準備は整っている。
今あなたに必要なことは、自分は何もする必要がないと思い出すことだけである。