大切な積み重ねのハードディスク、私の記憶媒体の損傷はもう手遅れかもしれない 

私の低スペックで出来上がるプログラムには

過度な負荷が与えられていた、元々私の原点とも言うべき環境から作り出せるosには、選択の余地など与えられなかった、だからこそ

ジャンクのようなメモリやCPUさえ持て余すほどでもあった、それらを使うごとに溜まるキャッシュに対して、削除する事が困難な課題が生じて進むデジタル社会

見事に溶け込めたは良かった、だけど

負荷を与えて余計な記憶を維持するためのハードには限界があった

記憶容量を司るものに対して、時折ハードディスクとメモリの両方が使われる

重大過ぎた疑問に私は当時気づかなかった

名称などこだわる必要もないのだと

その後訪れる基盤解体、私の全てが終わりを告げることに対して事は転機となる

マザーボードを拡張ができない諦め、それでもハードの中身の吸い上げで切り抜けた

SSDは、私には高価すぎたのか

それに対して求めたいと思えなかった、FLASHメモリーだけで、私は本当に満たされてしまったのだ、FLASHの本当に使える機能

私はそれを記憶している、だからこそ

新しいものばかりに目を奪われている輩に対して敵意しか抱けなかった

話のブレに対しての非礼、いまそれを私は考えたが

この話には必要不可欠なので、あえてである。


冷却対しても何故か、水冷式等と流行っていた時代があるのも知っているけど

水冷管?←(管の字が間違えている可能性)

水冷式は当時の金額が高すぎて、自己満足の仕様と却下の姿勢を崩せない私

しかし、今はCPUもコアやクロック数にもよるが熱を過度に出さないで済む

私の場合はオーバークロックを好み、恐らく今時そんな設定をしないと笑われるであろうが

私はオーバークロックをあえて起こして処理速度を上げる事を好んだ

負荷を与えて生きていくことに喜びを覚えたから、当時の私の設計ミス

グラフィックボードに対してもオンボードなんてあしらわれやすいけれど、それは初期中の初期は理解ができるが

別に私は完璧に近い映像を求めたわけでもない、ただ私は比較的絶望的なスペックから始まったことから、意味もない高スペまで求めるユーザーが嫌いなのだ

高スペが悪いのではない、起動さえできれば低スペでもと言う意味だ

負荷はストレスになると聞くけど、負荷を帯びても起動できなかった当時の私

当たり前にそこに入れれば。私の場合は溶け込めるのだ


この時代がどれだけ素晴らしいか、よく考えてみてほしい

争いを生むのも人だけれど、優しさを育てるのもモラルを持つのもやはり、人なのだ

私は総記憶している。。、