適切には答えられず、それでもどうにか答えるなら、答えは恐らくブレた事はない

答えに至るまでの式、それが少しズレただけ

、もっと追求をするなら

大きなブレが生じても、答えを私が変える事なんてありえないと信じていた

そして今でも、私はそう信じている

仮に、私が私以外の誰かにコントロールされることがあるのなら、それを変えられる唯一の人間を考えたとしたら、やはりそれは

わたしなのではないのだろうか

     どう考えても不自然な答え方になると思う

私の揺れる理由は大抵、私だけの問題が多く

    それらすべてを含めた存在が私なのだから、たとえどういう経緯で思想が曲げられても、そこに理想がついてこなかったとしても

  私は私であり続けるのだから

故に私はこう答えよう、結局私は己を呪う

    行い全てを他人に写さず

他人に自信を塗られ生きていくのなら

覚悟くらい持って行動しよう、その時他人の歪みに歪みは映らない、歪みを歪みで返す倍率は既に高確率で比例するBET感覚

かと言って、ギャンブル主機にはなれない私だからこそ、シンプルの行動に結果を求めがちで有り続けたい

わたしはそういうやつなのだからと

私自身私に言い聞かせね、話の道筋がそれにそれてもいい、私の答えは決まっていたのだ

私の答えはどこかにありがちで、恐らく見えにくい辺りの答えで、とってもつまらないような話の答えだった

そしてそれこそがそもそもの議題に繋がるのだが、ここからが相当長くなるから

だから、話し始める前にこれを

次回のこの先の話は何時になるのかな

相当先になる気がすると、数カ月先まで遠のいてしまいそう

だから、ブレない答えはあるにも関わらず 

わたしはそれの説明の手前で既にこの説明力なのだと悲しむ事になる

大筋の理解は頂けないと思うのも、私の文章に対する間と、語力と説明する知識のなさ

深い話になればなるほど、私の話が遠のくほどなのだと、イミフな言葉に立ち尽くしそうになる、それでもめげずに今日を終わらせよう

目覚めの時は近いと思うから