私は変わっているのだろうか

時々そんなことを考えてしまう

周りに比べておしゃべりな私は、本来大人しめな性格なのだと気づける人さえ居ないほどに自分を偽っている       演じている

私は相当な猫かぶり          それでもごく稀に

私の本質を見抜けそうな人が現れる

そういう人を私は今まで避けてきた

自分の心が見抜かれるのを恐るからだ

本当の私は大人じみててそれ以上に子供じみている           子供の背伸び、そんな言葉にしてしまえば        大人の甘えもまた成立する

たまには反比例でなく成立論を考えてみる

私は天才肌の大バカ    昔友人にそう言われた

天才と言って貰えないのは

馬鹿な私さえアートに思えるからだとクスクスと笑いながら話していた

その時の笑う友人をよく思い出すのは、その後に衝撃な思い出が生まれたから

私はその友人が好きだった

毎日一緒にいれた、学校の人達はセットだよねと、本当に仲良いねと当たり前のように言っていた                  現に喧嘩した時でさえ、謝ることなく一緒にいた      次の日も話すことなく家に来ていつものようにお菓子とジュースを選ぶ私

ゲームを始める友人

衝撃的な思い出とは、その友人が不機嫌そうに私を褒めてくれたのだ

ふざけてバカにしながら褒められたことはあったが、真面目な顔で褒めてくれたのだ

本当は悔しいから言いたくないと言いながら

その時私は本当に泣きたくなった

涙がこぼれそうになり本気で堪えた

私は認められたくなかったのだ                      その人と私は本当に同じ目線、同じ立場だったからこその仲だった  

当たり前に答えを出す私が、とうとう何も言ってあげられなかった

なんでもいい、何か言うべきだった

本当は私の方が認めていた

あの人は天才ではない、バカでもない

本当に凡人という言葉が似合いすぎる人だった


だからこそいつも、肩の力を抜いていられた

勝ち目のない勝負を挑んできたり

たまに驚く程に頭の良さを見せつけることもあり、ありえないほどのダサい服を着たり

そんな服さえ似合いすぎていて飽きなかった

私は楽しかったのだ、そう               だから同じ目線で居れなくなることを恐れた

今は幸せな日々を過ごしている

横にいる人は幸せだろう

優しくて楽しい、私が認めた数少ない人なのだから